2023年01月13日
「インクルーシブ」は、あらゆる場面で私たちの生活と関わりがあり、近年はダイバーシティや教育と関連して語られることが多いキーワードです。さらに、SDGsをもとに世界が抱える課題の解決を目指すうえで欠かすことのできない理念でもあります。本記事では、インクルーシブの意味やSDGsとの関連を解説し、社会や企業の取り組みやその重要性を探ります。
「インクルーシブ(inclusive)」は「包摂(ほうせつ)的な」「包括的な」「すべてを包み込む」を意味することばです。
インクルーシブを説明するとき、インクルーシブの反対の意味を持つエクスクルーシブ(exclusive)ということばがよく用いられます。エクスクルーシブは、「排除的な、排他的な」という意味です。つまりインクルーシブとは、さまざまな背景を持つあらゆる人が排除されないこと、と理解することができます。
障がいの有無や国籍、年齢、性別などに関係なく、違いを認め合い、共生していくことを目指す社会をインクルーシブ社会といいます。名詞形でインクルージョン(inclusion)と表記されるケースもあります。
インクルーシブの理念は、1970年代のフランスで誕生しました。当時不況や移民の増加により、社会から排除された人々、いわゆるソーシャルエクスクルージョン(社会的排除)が問題となっていたことから使われるようになりました。その後、若年層の失業者、障がい者などへの福祉政策の理念としてもインクルーシブが広まっていきます。
インクルーシブは、1980年代になるとアメリカで主に障がい児教育の分野で用いられるようになりました。近年ではビジネスの分野で、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)という言葉が生まれ、人材活用の基本理念として広く認識されるようになっています。日本でも労働人口の減少や価値観の多様化などを背景に、D&Iの重要性が高まっています。
「ダイバーシティ」は、「多様性」と訳されます。性別や年齢、国籍、人種、宗教、障がいの有無など個々に違いがあり、それを受け入れている状態がダイバーシティです。一方、インクルーシブは多様性が受け入れられているだけでなく、さらにそれぞれの個性が尊重されながら共生していることを表しています。
ビジネスの現場では、組織に多様な人材が存在している状態がダイバーシティで、それぞれが個性を活かしつつ能力を発揮し、成長や幸福の実現を目指している状態や環境がインクルーシブです。そしてこのような組織を作るマネージメント手法を、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)と呼んでいます。
「ノーマライゼーション」という言葉は、デンマークで生まれました。社会省で知的障がい者施設を担当していたニルス・エリク・バンクーミケルセンが、「障がいがあっても一般市民と同様の生活と権利が保障されなければならない」という考えかたを提唱したことが始まりです。
ノーマライゼーションは、「障がいの有無に関わらず当たり前の権利を享受できる社会」という障がい者の立場に立った限定的な理念といえます。一方、インクルーシブは障がい者に限定しないすべての人を対象としており、さまざまな差異をすべて包み込むという考えかたを意味しています。
SDGsの17の目標の中では、「インクルーシブ(包摂的)」という言葉は目標4、8、9、11、16で使用されています。また「あらゆる」「すべての」という言葉も頻繁に使用されています。
地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓うSDGsは、あらゆる人が排除されないことを意味するインクルーシブと、非常に近い理念といえます。
目標 4「質の高い教育をみんなに」
すべての人々への、包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
経済力や性別、障がいの有無などに関わらず、すべての人が質の高い教育を受けることができるように、環境を整えることを掲げた目標です。学校教育のほかフリースクールや職場での職業訓練、生涯学習なども含まれます。教育は、経済的自立やさまざまな課題を理解し解決策を導くための根幹であり、SDGsのその他の目標達成にも欠かせないものです。
目標8「働きがいも経済成長も」
包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する
経済成長や生産性だけでなく、働きがいのある人間らしい雇用が求められています。日本では働き方改革が推進されていますが、労働人口の減少や少子高齢化、過労死問題などまだ多くの課題を抱えています。インクルーシブの視点で考えると、女性、若者、外国人、障がい者など、社会的立場の弱い人たちの活躍が推進されることが求められます。
目標10「人や国の不平等をなくそう」
各国内及び各国間の不平等を是正する
包摂的という文言は使用されていませんが、性別や年齢、障がいの有無、国籍、人種、宗教などによる差別や不平等の解消を目指す目標です。貧困問題を解決する国際的な活動から、国内における男女格差の是正、労働同一賃金の推奨、障がい者や外国人などマイノリティの雇用まで、さまざまな取り組みが行われています。環境を整えるとともに、一人ひとりが偏見をなくし、多様性を尊重し合うことが何より大切です。
目標11「住み続けられるまちづくりを」
包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する
人口が集中する都市では、大気汚染やゴミ問題、住宅不足などさまざまな課題が発生しています。持続可能なまちづくりのため、スマートシティの推進や廃棄物の削減、再生可能エネルギーの導入など、さまざまな取り組みが進められています。インクルーシブなまちをつくるためには、ユニバーサルデザインの導入などのハード面、地域の交流やマイノリティへの理解などのソフト面も合わせ、すべての人が自分らしく生きられる環境を整えることが重要です。
インクルーシブ教育は、すべての子どもが同じ場所や同じ機会で学べる教育のことです。「障がいのあるこどもも一緒に」という文脈で語られることが多いですが、広い意味では、国籍や言語などの違いも受け入れ共生していくための教育といえます。
インクルーシブ教育は、1994年、UNESCOが開催した「特別ニーズ教育世界会議:アクセスと質」で、サマランカ声明によって提示されたことで、世界的な認知度が高まり、2006年には国連総会で「障がい者の権利に関する条約」が採択されています。
日本でもインクルーシブ教育への仕組みづくりが進みました。2007年の学校教育法改正の際には、「障害のある幼児・児童・生徒への教育にとどまらず、障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるもの」と、特別支援教育の理念にインクルーシブの考えが盛り込まれています。
しかし日本は国連から「分離された特別支援教育」と指摘されている現状もあり、障がいのある子どもへの配慮やインクルーシブ教育のスキル向上など、課題は多く残されています。
ユニバーサルデザインは、ユーザーの身体能力の違いや年齢、性別、国籍に関わらず、すべての人が使いやすいように作られたデザインのことです。多様な人が暮らす中、ユニバーサルデザインは社会インフラの整備において求められる重要なポイントとなっています。
近年日本でも増えているインクルーシブ公園はその一例です。障がいのある子どももない子どもも、一緒に遊べる公園のことで、皿形、椅子型など子どもに合った形を選べるブランコや車いすでも通りやすい迷路などを設置している「都立砧公園」、車椅子にのったままでも遊べる砂場や日光が苦手な子どもでも遊べる日除けスペースなどを設置した「としまキッズパーク」などがよく知られています。障がいのある子どもとない子どもが一緒に遊べることによって交流が生まれており、公園に限らず、あらゆる人との交流が生まれやすい場所は、今後もさらに求めらるでしょう。
ちなみに、ユニバーサルデザインと類似したことばに、インクルーシブデザインがあります。目指すものは近いですが、ユニバーサルデザインはデザイナーなど専門家が作るのに対し、高齢者や障がい者など使う人の目線を起点として企画設計されたデザインをインクルーシブデザインと呼びます。
なおユニバーサルデザインについては、本シリーズで詳しい解説記事がありますのでそちらをぜひご覧ください。
インクルーシブ実現のために、日本で取られている代表的な支援体制には、以下のようなものがあります。
・重層的支援体制整備事業
人口減や地域のつながりが弱まっている現状と、これまでの福祉制度や政策、また人びとが生活を送る中で直面する困難・生きづらさの多様性・複雑性から表れる支援ニーズとの間にギャップが生じてきたことをふまえ、分野や世代を超えてつながる共生社会実現を目的に厚生労働省が創設した事業です。
これを受け、たとえば福島県では8050問題やひきこもり、ダブルケアなど、複合的な悩みを抱えている方、従来の福祉制度の狭間にあり必要な支援が届いていない方を支援する取り組みとして、「包括的支援体制整備事業」を実施しています。
・難民支援協会
難民が失われた権利を回復することを目的に支援に取り組むNPO法人です。弁護士との連帯による難民認定の支援や自立支援、地域とのつながりをつくるコミュニティ支援などを行っています。
・SOS子どもの村JAPAN
親の病気や貧困など、さまざまな理由によって家族と暮らせない子どもと家族の支援を行っている団体です。里親制度を利用して子どもたちを受け入れ、子どもたちは育親(いくおや)と臨床心理士、ソーシャルワーカー、医師などの専門家チーム、地域のボランティアによって育てられます。
・バディファミリー(公益社団法人トレイディングケア)
ベルギーで移民を受け入れるシステムからヒントを得た仕組みで、外国人労働者と地域の人を結び、国や年代を超えた交流を通じて文化や日本の生活ルールを伝えていく取り組みです。情報弱者である彼らをサポートするのはもちろんですが、同質性の高い日本社会で、さまざまな人と触れ合う機会を提供しています。
インクルーシブの理念は防災にも取り入れられており、インクルーシブ防災と呼ばれています。日本は地震や津波など災害の非常に多い国です。近年では気候変動による自然災害も頻発しており、特に高齢者や障がい者など多様な人を想定した防災の取り組みが重要視されています。
インクルーシブ防災が広まるきっかけとなったのは、2015年に仙台市で開催された第3回国連防災世界会議です。「障害者と防災」がテーマとして取り上げられ、障がい者の視点を反映したまちづくりが、各自治体で注目されるようになりました。例としては、大分県別府市が地域と一緒になって推進する「別府モデル」と呼ばれる防災を通じた街づくりなどがあげられます。防災訓練や会議などで住民と障がい者が日常から交流できる仕組みを作っているのが特徴です。
これまで企業では、社会貢献や対外イメージのために障がい者の雇用や女性活躍推進などのインクルーシブ経営を取り入れてきた側面もあります。しかし近年では、多様性を持ったチームは単一的な属性のチームより個性を発揮でき、イノベーションの創出につながるという考えが広まっています。
自分の意見が尊重されていると感じれば、積極的な発言につながり、新しいアイデアも生まれやすくなります。離職率も下がり、優秀な人材の獲得にもつながるでしょう。
2020年にはLGBTへの配慮から、厚生労働省によって性別の選択肢を削除した履歴書が公開されました。「無意識の偏見」(アンコンシャス・バイアス)は、思い込みや偏った考えのことで、誰もが多かれ少なかれ持つものです。組織の中ではこれが悪いほうへ作用することもあることから、さまざまなアンコンシャス・バイアスに気づくための研修を取り入れている企業もあります。
インクルーシブマーケティングは、現状で排除されている少数派の意見を尊重し、多様性を価値あるものとして重視するマーケティングの概念です。
少数派の視点が反映されれば、これまで見落とされてきた商品やサービスが生まれる可能性があります。その結果、ユーザーの選択肢が増え、満足度が高まることも期待できます。
インクルーシブマーケティングの例として、近年は化粧品のモデルに男性が起用されることも多くなっています。これはその男性のファンを取り込む目的もありますが、男性もコスメを楽しめるというメッセージを発信することができ、新たな購買層の獲得にもつながります。
少数派にスポットを当てるというより、従来のマーケティングでは注目されなかった少数派の視点を取り入れることで「多様性を持つすべての人へ届ける」という意思表示をすることができます。
インクルーシブマーケティングの詳細については、「講談社C-station」に複数の関連記事がありますので、ぜひそちらをご覧ください。
ESGは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス=企業統治)の3つの単語の頭文字を並べた言葉で、持続可能な経営に必要とされている観点です。この観点に配慮している企業を選ぶ投資のことをESG投資といいます。企業の社会的責任が問われる中、人権の尊重やD&Iの促進は企業の持続的な成長に不可欠な要素となっています。
なおESGについては、本シリーズで詳しい解説記事がありますのでそちらをぜひご覧ください。
これまでSNSを通じた性的マイノリティの人たちによる勇気ある発信などによって、私たちは排除されてきた人たちに気づくことができました。しかしまだまだ他にも、身近で気づかれていない排除はたくさんあるはずです。インクルーシブ社会の実現のためには、他者への理解が欠かせませんが、そのためにはまず排除に気づくことが必要です。
利便性や効率を優先し、健常者による「最大公約数的」な幸福を追求してきた社会から、これまで排除されてきた人たちを包み込む社会へと、ようやく変わり始めています。地域やこれまで関わらなかったコミュニティに参加してみる、興味のなかった社会へも目を向け一歩踏み込んで考えてみる、インクルーシブな商品やサービスがが生まれた背景を探ってみるなど、自ら新しい気づきを探しにいくことは、個人でもできるインクルーシブへの取り組みではないでしょうか。
グループ全体でダイバーシティ・エクイティ・インクルージョンに取り組むのがANAホールディングス株式会社です。同社では、ハード・ソフトの両面からユニバーサルなサービスを提供し、共生社会の実現を目指しています。
ハード面では、座ったまま保安検査を受けられる樹脂製車椅子の導入や、障がいの有無や医療機器、補助具など事前に情報を共有できるサービスなど、ソフト面では、ユニバーサルサービスに関する教育や障がいのある方の心のバリアへの理解を深める講座の実施など、さまざまな取り組みが行われています。また女性役員・女性管理職比率の向上、LGBTQ+を尊重する環境づくり、多様な働きかたの支援など、ひとりひとりが個性を活かせる職場づくりにも注力しています。
できるだけ多くの人が利用しやすい生活環境をつくるため、スパイラルアップ(点検・評価・改善)の手順を繰り返しながら、ユニバーサルデザイン(UD)推進事業に取り組んでいます。講座やイベントの開催でさまざまな世代へのユニバーサルデザインの啓発・教育を行うことや、専門家であるUDアドバイザー、ニーズを伝える利用者・当事者、UDの普及・推進に携わる区民など、多様な人が活躍できる場をつくり、多くの区民を巻き込んで進めていくための工夫がされています。
インクルーシブの取り組みには課題もあります。まず教育の面からみると、必要な教育環境の整備が追いついていないことがあげられます。必要な配慮も一般的な支援にとどまっており、同じ教室で学ぶということが重要視される一方、個性を活かす教育にはまだ距離があるようです。教員1人で見るには負担も大きく、人員不足も深刻です。障がいのない子どもたちがどう受け入れられるのかという懸念もあります。
経営面では、女性管理職を何%まで増やしたい、障がい者の雇用率をあげたいといった数値目標に縛られがちな現状があります。数値目標を達成しても、それぞれがいきいきと働けていなければ意味がありません。マイノリティの立場にある人が安心して働ける職場であること、ライフステージの変化に合わせた休暇や時短・在宅勤務などの制度を整えることなどの環境づくりが重要です。
先に解説したD&Iは、まだまだ新しい考えかたです。理解が浸透しないまま進めてしまうと、過去の価値観から脱却できない人たちが取り残されてしまいます。マイノリティを優遇するわけではなく、すべての人のためである、という意識改革が必要です。
インクルーシブについて、さまざまな取り組みを中心に、その意味やSDGsとの関わりを解説してきました。インクルーシブは教育や防災、福祉、経営、マーケティングなど多方面にわたる分野で注目されており、ひとつの機会で説明するのは難しいテーマですが、SDGsとともに、持続可能な世界を目指す私たちの羅針盤となってくれることばであることは間違いないでしょう。