参加から開催までおよそ100年。日本の「万博」の歴史|大阪・関西万博とSDGs【第2回】

2023年06月06日

「SDGs万博」とも呼ばれる「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」を、SDGsの視点から紹介する連載の2回目。ジャーナリストの稲葉茂勝さんが、著書『2025年大阪・関西万博 SDGsガイドブック』(文研出版)をもとに、今回は「日本の万博の歴史」を解説します。

連載第1回目では、万博の目的と役割について解説しました。今回は、日本の万博の歴史について解説します。

参加から開催まで、およそ100年を要した日本の「万博」

1867年、フランスのパリで開催された「第2回パリ万国博覧会」にて、日本は初めて万博に出展参加しました。それからおよそ100年後、1970年に日本初開催となる「日本万国博覧会(大阪万博)」が行われました。

実はその前にも一度、日本開催の可能性があったのです。

世界各国で万博が開催されるようになると、製品や技術を展示することで産業の奨励と国民の啓蒙政策の一環を図りたい日本も、自国での万博開催に意欲を見せるようになりました。

もとより日本国内でも1871年の京都博覧会を皮切りに、寺院などを会場として「博覧会」が頻繁に行われていました。20世紀になる頃には、海外への博覧会への参加に伴い、国内でも多くの博覧会が行われました。

1912年、1940年にも予定されていた「日本の万博」

そうした中、万博開催への機運はますます高まり、政府は1912年4月から10月までの予定で東京での「日本大博覧会」の開催を計画。世界各国からの参加出品を求め、実質的な万博として予定されていました。しかしその計画は経費の増大などで5年間延長し、結局、中止となってしまいました。

その後、日本では万博の計画は持ち上がりませんでしたが、第二次世界大戦の前、民間から熱望され、1934年に「日本万国博覧会協会」を設立。万博の具体的準備を開始し、1940年に、日本の皇2600年を記念して東京・横浜で日本初の万博が開催される予定でした。しかし、1937年に勃発した中国との戦争の影響で延期に。事実上の中止に追い込まれる結果となりました。

第二次世界大戦によって、世界の万博は1939年と1940年の2回に分けて行われたアメリカ・ニューヨーク万博のあと、18年間にわたり中断。再開されたのは、戦後13年目の1958年、ベルギーのブリュッセル万博だとされています。

1965年2月、第二次世界大戦後に日本もBIE条約(国際博覧会条約)に加盟。同年9月に、日本での万博開催が決定し、1970年には日本のみならずアジア初となる万博が大阪府吹田市の千里丘陵で開催されました。こうして念願の日本初の万博「大阪万博」が開催されたのです。

日本で開催された「万博」の歴史

ここからは、日本で開催された万博について解説しましょう。

日本初開催の万博「大阪万博」/1970年 大阪府

大阪万博の開催が決まったのは1965年です。「日本万国博覧会協会」が創設され、万博開催に向けて準備がはじまりました。万博のテーマソングもつくられ、三波春夫や坂本九、吉永小百合といった当時日本を代表する歌手が歌い話題に。日本中がお祭りムードで盛り上がりました。

この万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。共存が難しい「進歩」と「調和」を掲げ、人類の高い理想を追求しました。

大阪万博の開催時期は、高度経済成長時代とも重なっています。建築家・丹下健三氏が設計した「お祭り広場」会場の中心には、芸術家・岡本太郎氏による「太陽の塔」が設置され、広場で行われた開会式の様子は、衛星テレビ中継で全世界に放送されました。

万博の開催に合わせて東海道新幹線などの交通インフラも再整備され、日本の経済発展にも大きく貢献。大阪万博は、183日間の開催で6400万人以上を動員しました。

海をテーマとした「沖縄海洋博」/1975年 沖縄県

大阪万博開催5年後の1975年には、沖縄島北部の本部町で、沖縄の日本復帰を記念した「沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)」が開催されました。

この万博のテーマは「海-その望ましい未来」。1970年に開催された大阪万博と異なり、英語で「World Exposition」とされていないのは、「海」をテーマにした万博であったため、海のない内陸国は参加しておらず、参加国が限られていたからです。とはいえ、世界で初めて「海」をテーマに開催された万博は、世界36ヵ国と3つの国際機関が参加し、特別博(※)としてはこれまでにない大規模なものとなりました。

沖縄海洋博の開催に合わせ、空港から会場までの道路が急ピッチで整備されました。また、会場内ではバスや鉄道の代替となる新交通システム、海洋博KRT(エキスポ・ニューシティ・カー)の登場も話題を呼びました。

この万博ではひとつ、大きな反省がありました。万博開催のための開発事業で海へ泥が流れ込んでサンゴ礁に被害が出るなど、海洋汚染問題が発生したことです。このときの学び、万博開催における環境保全への配慮は、その後の日本開催における重要なテーマとなっています。

※ 1988年のBIE条約改正以前には、万博は「一般博覧会(一般博)」と「特別博覧会(特別博)」に分類されていた。一般博はテーマの範囲を人類活動の2つ以上の部門とし、特別博は特定の部門にテーマを限定。改正後は「登録博」と「認定博」の2種類とされる。

「沖縄海洋博の環境汚染の反省が、2000年の花の万博、2005年の愛・地球博へ、よい影響をもたらしました」と稲葉さん


特別博史上最高の入場者数!「つくば科学万博」/1985年 茨城県

1985年に茨城県の筑波研究学園都市で開催された「国際科学技術博覧会(つくば科学万博)」は、大阪や沖縄のような観光地ではない都市での開催にもかかわらず、特別博覧会史上過去最高となる2033万人以上もの入場者数を記録しました。

この万博のテーマは「人間、居住、環境と科学技術」。世界48ヵ国、37の国際機関が参加し、世界的大企業が最先端技術を駆使したアトラクションで来場者を楽しませました。
譜面を自動で読み取りエレクトーン演奏するロボットや、二足歩行ロボットが歌い踊るロボットシアターなどが人気を集め、会期中はどのパビリオンにも長蛇の列ができました。また、会場内には未来の乗り物とされたリニアモーターカーやスカイライド(ロープウェイ)が設置され、来場者に科学技術の未来の姿をアピールしました。

このつくば万博は、科学ブームのきっかけを生み出すとともに、茨城県つくば市に多くの人を集め、地域活性化の役割も果たしました。

アジア初の国際園芸博覧会「花の万博」/1990年 大阪府

1990年に大阪府鶴見緑地で開催された「花の万博」のテーマは「自然と人間との共生」。21世紀へ向けて、花と緑と人間生活との共生で潤いのある豊かな社会の創造を目指し、アジアで初めて開催された国際園芸博覧会です。

現代の最高の科学技術を活かし、伝統的な園芸や庭園の知恵を守ると同時に、花と緑を積極的に作る新しい技術によって機械生産と自然を調和させ、産業と生命、文明と自然が調和していく社会を目指しました。

産業の発展とともに、高密度の人口集中地域に住む人々は、花と緑のふるさとへの思いを強くするようになりました。そこで、会場全体を「山のエリア」「野のエリア」「街のエリア」に区分し、さまざまなパビリオンやアミューズメント施設を通して、自然を学びその美をたたえる機会を設けました。

バブル景気も重なり、1985年のつくば科学万博の来場者数をさらに上回る2312万人もの入場者数を達成しました。

新しい文化・文明の創造を目指した「愛・地球博」/2005年 愛知県

21世紀になってから初の日本開催の万博は、愛知県で開催された「愛・地球博(2005年日本国際博覧会)」です。「自然の叡智」をテーマとし、121ヵ国4国際機関が参加し、目標を大きく上回る2204万人が来場しました。

20世紀の万博は、製品や技術力を世界に向けてPRする傾向が続いていました。しかし、バブル景気が崩壊した日本では経済が低迷し、交通インフラの整備などを行う費用捻出が厳しい状況でした。

そこで、この万博では製品や技術力のPR以上に、「自然の叡智」というテーマに基づいた自然保護や生物・文化多様性、国際交流の促進などにも注力。排気ガスを出さない交通手段として、「自転車タクシー」で会場内移動を行うなど、環境に配慮した会場づくりや新しい省エネ技術で多くの人々の関心を集めました。

愛知県ではメイン会場を「愛・地球博記念公園(モリコロパーク)」として整備。現在は公園内に「ジブリパーク」を整備。愛・地球博の理念を次世代に継承しています。


大規模な万博としては55年ぶり! 「大阪・関西万博」/2025年 大阪府

そして2025年、大規模な万博としては55年ぶりに、再び大阪で万博が開催されます。この「大阪・関西万博」は、「SDGs万博」とも呼ばれており、SDGsの目標達成に大きく貢献すると見られています。

日本の万博の歴史を振り返ると、2005年の「愛・地球博」から、21世紀の新しい国際博覧会に変容していきます。前述のBIEも日本政府も、愛・地球博を「人類共通の課題の解決策を提示する『理念提唱型万博』」と位置付けていました。

"人類共通の課題"といえば、当時はSDGsの前身である「MDGs(ミレニアム開発目標)」が2001年に発表されており、またESD(持続可能な開発の為の教育)も2002年に「持続可能な開発に関する世界首脳会議」で日本が提唱し、国連総会で採択されていました。

なお、日本が発信し、国際的に認められたESDは、2015年に作られたSDGsにも組みこまれ、目標4「質の高い教育をみんなに」のターゲット<4.7>に記載されています。ESDはSDGsの17個の目標の達成に役立つ考え方であることが確認され、質の高い教育の実現に貢献するものと考えられています。

万博は、2005年の日本の「愛・地球博」以降、SDGsが掲げる目標と同じ方向を歩み、実践してきました。10年後のミラノ万博では「地球に食料を、生命にエネルギーを」、12年後のアスタナ万博では「未来のエネルギー」がテーマとされ、環境問題やエネルギー問題の解決に寄与することが万博にとって重要課題になってきたのです。つまり、SDGsのゴール達成に2025年の「大阪・関西万博」が期待される理由も、こうした万博の歴史を鑑みれば、自然のことなのです。


●関連リンク
2025年大阪・関西万博 SDGsガイドブック(文研出版)

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