2024年04月15日
地方自治体の環境担当部署に「地域で一番、大変な仕事は何ですか?」と質問すると、「鳥獣被害が大きく、その駆除が大変です」という回答がよく出てきます。
環境政策においては、動物の生命を守ることが目的であるはずですが、駆除により動物の生命を損なうことは相反するようにみえます。
人間への危害や損害を守るためには、動物を駆除することは仕方がない、必要な行為だとは考えられます。とはいえ、鳥獣の生命を人間の都合で奪うことを正当化していいものか?というモヤモヤが残ります。
では動物園はどうでしょうか。動物園は動物の生命を奪うための場所ではなく、動物の保護をしたり、人間が学ぶことで動物保護を広げるという役割を果たす場所として運営されています。しかし、動物が野生の生息地にいたらできていただろう自由な行動を、動物園に連れてくることで奪っているという点では、動物園のありかたにもモヤモヤがあります。
さらに考えるべきは、人間の肉食の問題です。肉食は動物の生命を奪っているわけですが、人間が育てた家畜や危害があるからと駆除した鳥獣であれば生命をいただいてもいい、と割り切れるでしょうか。あるいは、日本は鯨肉を食べることで海外から批判される場合がありますが、鶏肉や豚肉をいただくことがよくて、鯨の捕食が野蛮だと言われしまうことのモヤモヤはなんなのでしょうか。
本稿は、鳥獣駆除や動物園、肉食の否定を意図するものではありません。私たちが動物との関わりかたであたりまえに考えている前提を問い直し、本質的な問題は何なのか、どのように考え、問題を改善していくべきなのかを整理していきます。
先人により、動物に対する人間の配慮のありかたに関する様々な規範が示されてきました。まず最初に「動物の福祉(アニマル・ウェルフェア)」を取り上げます。
「動物の福祉」は、一般的には、動物のQOL(生活の質)を高める行為、動物に強いる犠牲を少しでも軽減するための改善のこととされます。具体的に配慮すべき動物のQOLとして、表1に示す「5つの自由」が示されています。
表1 動物の5つの自由(The Five Freedoms for Animal)
出典)埼玉県動物指導センターのホームページ等より作成
「5つの自由」は、イギリスの家畜福祉協議会が畜産動物に対して適用したものでしたが、家庭動物(ペット)等を含むすべての動物に適用すべき理念であるとして、世界獣医学協会、世界動物園水族館協会(World Association of Zoos and Aquariumus:WAZA)等の指針にも取り入れられています。また、国際的な動物福祉の標準として、日本や各国の関連する法令にも反映されています。
WAZAが2015 年に作成した「野生生物への配慮 世界動物園水族館動物福祉戦略」では、飼育動物を対象に負(嫌悪)の経験を減少させ、正(楽しみ)の経験を増やしていく方針を打ち出してます。同戦略で示された具体的な取組みとしては、「環境エンリッチメント」、「ハズバンダリートレーニング」があり、国内の動物園等でも実践が行われています。
「環境エンリッチメント」は、動物の飼育環境を豊かにする試みのことで、飼育動物の正常な行動の多様性を引き出し、異常行動を減らして、動物の心をよい状態にすることを目的とします。環境エンリッチメントの具体例を表2に示します。
表2 動物園における環境エンリッチメント
出典)千葉市動物園のホームページ等より作成
「ハズバンダリートレーニング」は、動物側に協力してもらいながら、医療行為や世話を行うための訓練のことです。エサ等のご褒美をあげることで動物が自主的に移動したり、採血のために手足を出す・口を開ける等のように、健康管理に必要な行動をとれるようにしています。動物の健康状態の把握のために体重測定や採決等が行われますが、従来では全身麻酔をしていたため、動物への負担も大きかったとされます。動物園の動物(特に大型動物)の高齢化が進んでおり、ハズバンダリートレーニングの必要性が高まっています。
「動物の福祉」の考えかたを取り入れた法律として、国内では「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護管理法)があります。
同法は1973年に議員立法で制定され、その後1999年、2005年、2012年、2019年と議員立法による法改正が行われています。動物を人間の利用目的に応じて野生生物等は、この法律の対象ではありません。同法の目的は次のように記されています。
第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
つまり、同法の目的は2つ、「動物の愛護」と「動物の適切な管理」です。後者は動物の飼育等による人間側の迷惑の軽減を目的とすることに対して、前者の動物の愛護は動物の福祉の観点であることがわかります。「愛護」という言葉に注目したいと思います。愛護という言葉には、かわいがる、愛情をもって接するという意味が込められており、この法律が動物という生命に対する人間の精神のありかたを視野に入れていることがわかります。
理念はわかりますが、飼い主が愛情だと思っている行為が人間の勝手なもので、動物の自由を損なうことになっていることはないでしょうか。また、見た目や仕草がかわいいと思えるペットの犬や猫、動物園のパンダ等に愛情を注ぐことはよいとしても、(人によっては)見た目から愛情を持てないと思ってしまう動物もいるでしょう。
人間が利用する動物といっても様々であり、等しく福祉の視点をもって、愛情をもって接せることができるのかどうか、「愛護」という言葉の持つ重さを考えさせられます。
動物愛護管理法が対象とする動物は、人が飼育等をしている動物(家庭動物、展示動物、産業動物[畜産動物]、実験動物等)で、実に多くの動物が対象になっています。
少し古い試算ですが、環境省は国内の家庭動物の数を約7,000万、展示動物のうち動物園等にいるものを約450万、展示動物のうちペットショップ等にいるものを約1,500万、実験動物を約900万、産業動物を約34憶6,000万、合計35憶6,000万と見積もっています。狭い国土の中に、人間の数以上に多くの動物が飼育されていることに驚きます。
一個体の生命がそれぞれに大切であること、動物の寿命は人間より短く毎日のように多くの動物が生命を失っていること、私たちは長い人生において多くの動物を食料としていただいていること等を想像すると、私たちの愛護の気持ちは途方もなく大きなものでないといけないことになります。
「動物の福祉」を説明してきましたが、それよりも厳しく動物への配慮を求める考えかたとして、「動物の権利(アニマルライツ)」があります。両者の違いは、表3に示すように対象とする動物の範囲と配慮する規範、配慮の方向性と方法にあります。「動物の権利」の考えかたからみれば、「動物の福祉」に配慮したとしても人間は動物を利用することは許容できないことになります。
表3 「動物の福祉」と「動物の権利」の考えかたの違い
「動物の権利」が"最大限に"発揮された社会をイメージしてみましょう。人間は「ペットを飼ってはならない」「肉食をしない」「動物を閉じ込める動物園はない」「動物実験はしない」という社会になりそうです。
科学の進歩によって、ロボットのペットが高度化し、動物の肉に代わる代替肉が普及し、動物園はメタバースにとってかわるというようなこともできるかもしれません。そうなれば、(人間が援助しないと生存できないように改良されてしまっているペットの飼育や実験のための動物利用は残るかもしれませんが)動物の利用は最小限になり、あらゆる動物が自然のままに生きる権利を発揮していけるかもしれません。
ここまで考えてきた「動物の福祉」と「動物の権利」によって、3つの問いが浮かんできます。
第1に、動物愛護法が対象にする動物にも「動物の権利」が適用されると、人間は動物を利用してはいけないことになりますが、「動物の利用を科学技術によって代替することができるとして、それは本当に健全なことだろうか」という問いです。人間の身近に生命を持つ動物がいなくなり、AIやロボットによる動物もどきに囲まれていることは、人間にとって幸せな社会なのでしょうか。
第2に、動物といっても哺乳類、鳥類、は虫類、両性類、魚類、昆虫類、甲殻類、軟体動物、原生動物と様々ですが、「どのような動物が、福祉や権利への配慮が必要な対象になるのか」という問いです。肉食の代わりに昆虫食が推奨される場合もありますが、昆虫もまた動物です。エビやイソギンチャク、ミジンコをペットとする人もいますので、愛玩動物の対象も様々です。ミジンコの権利を考えている人がいるでしょうか。
第3に、動物以外の生物である植物も人間が利用しているわけですが、「植物、さらには細菌といった動物以外の生物にも権利があり、配慮が必要なのか」という問いです。世界上の人間の活動や生命を脅かしてきた新型コロナ等のウイルスもまた、「遺伝情報を持ち進化するもの」を生物と定義するならば、それも対象なのでしょうか。
3つの問いに対して、様々な立場から、様々な回答がありえます。
1つめの問いに対して、人間のウェルフェアやウェルビーイングの向上を目標にする立場では、生命ある動物とのふれあいの重要性を強調するでしょう。児童の健全育成においても、動物の生死を体感しないこと、野生動物の神秘や不思議さ、怖さ等を知らないままに成長することに問題があります。AIやロボット等の導入のありかたに関する嗜好や思想も様々にありそうです。
2つめの問いに対しては、苦痛を感じる能力があることを基準に魚類までを配慮の対象にする立場があります。配慮対象の基準は様々で、感情や欲求を持つこと、知覚や記憶、未来の感覚があること等も基準となりえます。これに対して、究極的にはミジンコ等も含めて、あらゆる動物に存在価値がある(権利がある)という立場もあります。
3つめの問いに関連して、「動物の権利」ならぬ「自然の権利」という考えかたがあります。「自然の権利」では植物や無生物も対象にします。存在する個体の価値だけでなく、あらゆる存在が自然生態系としてつながっており、全体として価値があるという考えかたに立てば、岩石もまた存在価値を有することになります。
動物の福祉や権利、自然の権利については、ソルト(Henry S. Salt,1851~1939年)やシンガー(Peter Singer,1946年~)、リーガン(Tom Regan,1938~2017年)、ナッシュ(Nash,Roderick Frazier,1939年~)の代表的著作やそれらをまとめた日本の研究者の書籍があります。既存の研究成果を踏まえて、自分自身が前提にしていることの思い込みを問い直す機会を持つようにしたいものです。
動物の福祉や権利、自然の権利は「種差別」の改善を求めるものです。
種差別は、人間の幸福や快楽、自由、生命は尊重するのに、人間以外の生物のそれらを尊重しないことを言います。愛玩動物は可愛がっても野生の動物を忌避するという態度も、権利の対象を痛みの感覚を持つ動物までに限定するという考えかたも、痛みを持たない動物に対する種差別になります。種差別の問題は、人間の利用価値や人間にとっての親近感、共感性、特定の価値観や文化によって勝手な基準をつくり、人間が生物種の間に区切り線を引いてしまうことにあります。
差別によって、差別をする側は差別をされる側への配慮をしないばかりか、搾取、つけまわしといった危害を与えます。グローバル化が進み、外部依存化が進んだ今日では、差別は不可視化され、意識されないものとなります。私たちの幸福な暮らしの足元で、多くの動物が不健康な環境に置かれて飼育され、大量に生命を奪われ、生息地を開発されています。自分の身の回りにいる生物に愛護の精神を持っているというだけでは、種差別に加担していないと言い切れません。
この連載では、都市と地方における「周縁化」(都市が地方に問題をつけまわす「地域間の不平等」をどう克服するか|【第6回】)、先進国と途上国といった「構造的暴力」(日本人が考えるべき、貿易の不平等による開発途上国の問題|【第7回】)を取り上げてきました。種差別の問題もまた、人間を中心とした動物や生物の周縁化であり、搾取の構造に乗っかった構造的暴力だということができます。種差別の問題の根本は「人間中心主義」にあると言われますが、都市と地方の問題は都市中心主義、先進国と途上国の問題は先進国中心主義だということもできるでしょう。
まだ取り上げていませんが、人種差別、性差別、障がい者への差別、感染症患者への差別といった問題もまた、先進国の健康な成人男性を真ん中において、それ以外を周縁化し、かつ不可視化する「〇〇中心主義」に基づくものです。存在に中心も周縁もなく、中心と周縁での優劣もなく、価値の重さや権利の範囲の違いはないという視点から、環境や福祉の問題に共通する根本をつきつめていく必要があります。
図1 中心と周縁を持つ〇〇中心主義がもたらす問題
本稿の冒頭に、鳥獣駆除や動物園、肉食に関するモヤモヤのことを書きました。種差別や人間中心主義をできる限り排したとしても、それでも私たちは自分たちの社会や経済、生活を維持し、快楽や幸福感を求めて、動物を管理し、利用せざるを得ません。そうした行為を「キレイごとだけでは済まされない必要悪だ」と割り切るしかないのでしょうか。
これが正解だと言い切るつもりはありませんが、たたき台として、筆者の提案を示しておきます。自然(動物や生物)と人間との関係を3つのゾーン(空間)に分けて、それぞれのゾーン毎に人間の関わりかたを変えていくという提案です(図2参照)。
図2 動物・自然に配慮するゾーニングの考えかた
1つめのゾーンは、人間が手つかずの「原生的自然生態系」です。そこでは、自然の権利が尊重され、生物はもちろんのこと、岩石や地形等のすべてが保護されます。
気候変動による外部の影響は避けれないかもしれませんが、気候変動もまた人為的な影響になりますので、そうした人為の影響による変化がないように、原生的な生態系であるように科学的なモニタリングや状況に応じた適切な管理を行います。
2つめのゾーンは、自然と人間の相互作用によって形成された「人間・自然共生系」が再生された空間です。里山を介した二次的な自然の循環的利用システムをイメージすることができます。このゾーンでは、農耕や牧畜、養蜂、狩猟や採取等が行われ、人間が直接、動物や植物の生命を育み、生命を食料としていただく暮らしを行います。
適正な規模とスピードで自然を利用しないと全体の持続可能性が損なわれるため、自然の尊重は前提となります。動物の生命をいただく行為も自分が(あるいは自分の見える範囲で)行われるため、支配や搾取が不可視化されることはありません。
適正に利用することで、鳥獣被害は抑制され、鳥獣をいただく行為も循環システムの一部となります。身近動物や植物は人間の身近に存在するため、動物園にいかなくとも生物とのふれあいや環境学習の機会が得られます。自然を利用しますが、「人間を中心としない、人間と自然が一体となって共生する」ゾーンとなります。
3つめのゾーンは「人的自然管理系」です。
「原生的自然生態系」と「人間・自然共生系」だけでは、今日の膨張した人口と人間活動を維持することができません。人工資本で覆われた都市空間の自然化も容易ではありません。
そこで、人間が科学技術の力や民主的に構築された制度を用いて、動物の福祉や権利、自然の権利を守るシステムを構築します。動物の利用は最小化され、人工的なもので代替できるものは代替していきます。具体的は、植物を使った人工肉による代替、愛玩動物のスマート技術による管理、AIやロボットによる動物代替をしていきます。
生身の動物のふれあいや学習という目的で動物園は運営されますが、動物の福祉に配慮した最大限の施設の改善や科学的な管理は不可欠となります。
今回考察した動物の福祉とともに、人間の福祉、環境保全を一体として捉える方法として、「ワンウェルフェア」という考えかたが提起されています。これは、新型コロナ禍において見えてきた「人間と動物の健康、地球の健康は連動している」という「ワンヘルス」を進化させたものです。
また、自由や権利といった配慮の規範は西洋的な自然観に基づくものですが、日本的自然観においては、そもそも人間と動物、あるいは神様は一体的なものと捉えています。
次回は、これらの統合的な人間・自然観をとりあげます。