2025年01月17日
環境問題には関心があるが、自分にとっての優先順位は低いと考える人は多いかもしれません。しかし、自分の健康のことを優先しない人は少ないことと思います。
健康を害することは、苦痛や恐怖を伴い、生命をも脅かすことです。そして環境問題は直接・間接に自分の健康に影響を与えています。
体を鍛えたり、医者の治療を受けるだけでは健康を守り切れないことを感じたとき、また環境問題への取り組みが自分の健康的な暮らしの実現にもつながると感じたとき、人々の環境問題への取り組みの優先順位は高まることでしょう。
今回は、自らを含めたすべての人の健康のために環境問題に取り組む必要があること、健康と環境の問題を一体的に捉える考えかたやそのライフスタイルが魅力的なものであることをとりあげていきます。また、脆弱者の視点から「健康と環境」を統合化していく必要性と留意点について記します。
なお、健康という言葉には、「ヘルス」「ウェルネス」という2つの英単語が相当します。これとウェルビーイング、さらにはウェルフェアの関係を整理したのが図1です。
図1 ヘルス、ウェルネス、ウェルビーイング、ウェルフェアの関係
健康が良好であることがヘルス、さらにポジティブな態度があることがウェルネス、そしてヘルスとウェルネスを基盤として、自己実現にいたる充足感がある状態がウェルビーイングというように、ウェディングケーキをイメージすることができます。またウェルフェアは、個々のウェディングケーキの状態に社会の状況に起因する格差がないことです。
これらの定義や関係については諸説がありますが、本稿ではこの整理にもとづき、(ヘルスを含めた)ウェルネスに焦点をあて、それと環境問題との関係を扱っていきます。
まず、環境問題が人間の健康に与える直接的・間接的な影響のイメージを図2に示します。
図2 環境問題が人間の健康に与える直接・間接の影響
気候変動の例でいえば、直接的な影響としては「猛暑や豪雨による心身の健康障害」があります。 熱ストレスは天候に関連した死亡の主な原因であり、熱中症をもたらすだけでなく、心血管疾患、糖尿病、精神疾患、喘息等の疾患を悪化させます。
「人間システム(社会と経済)」を介した間接的な影響としては「食料供給の支障による飢餓や栄養不足」、「気候災害による住居や収入の損害による健康維持の困難化」、「気候災害時の避難や移民化によるストレスや医療確保の困難化」、「気候災害による健康を支援する行政や保健・医療等の機能低下」などがあります。
開発途上国では気候移民の移住先での健康問題が深刻ですし、日本国内でも気候災害後の一時的な避難先において健康問題が生じます。たとえば、豪雨災害の際に、避難先の衛生状態の悪さやストレスによる健康状態の悪化、感染性胃腸炎の蔓延などが問題になっています。
「自然システム(自然生態系や生物)」を介した間接的な影響としては、「媒介昆虫の活動の活発化や生息域の北上等による感染症リスクの拡大」などがあります。たとえば、気候変動によりデング熱の感染リスクが高まるといわれます。これはデング熱のウイルスを媒介するシマダラカが生息域を北上させたり、秋になっても温度が高いと活動期間が長くなるためです。
健康分野における気候変動の影響としては、暑熱による熱中症と感染症の拡大の2つの側面が取り上げられることが多いですが、精神の健康(メンタルヘルス)への影響も視野に入れる必要があります。
たとえばアメリカでは、アメリカ心理学会とecoAmericaという任意団体が共同で「Mental Health and Our Changing Climate: Impacts, Implications, and Guidance」というレポートを作成しています(2017年作成、2021年改定)。この中で、気候変動によるメンタルヘルスへの影響を体系的に整理し、個人や行政による対策をまとめています。メンタルヘルスへの影響として記述されている内容を要約します。
上記に関連して、「ソラスラルジア(solastalgia)」と「気候不安(Climate anxiety)」という概念があります。
ソラスタルジアは、2005年に環境哲学者のグレン・アルブレヒトが提唱したもので、"solace"(慰め)、"nostalgia"(ホームシック)、"algia"(痛み)を組み合わせた造語です。環境の変化によって引き起こされる感情的あるいは苦痛を指しています。気候変動による居場所の喪失感もソラスタルジアです。
気候不安は、気候変動が進行する将来への不安やストレス、恐れを指します。アメリカ心理学会等のガイドラインでは、エコ不安(ecoanxiety)という言葉が使われています。これらの気候変動による心理面でのマイナスの影響は、ウェルネスやウェルビーイングの実現を阻害することになります。
アメリカ心理学会等のガイドラインでは、気候変動のメンタルヘルスについて、個人、コミュニティ、政策での対策の方向性を示しています。
個人では、ストレス管理や心理療法、気候変動に関する知識の普及と行動への参加が推奨されています。不安に思うなら、まず行動し仲間とつながろう、ということです。コミュニティにおいては、気候災害への抵抗力(レジリエンス)となる地域内での人のつながり(ソーシャルキャピタル)を高めることが推奨されています。
2023年の国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議において、「COP28UAE 気候・健康宣言(COP28 UAE Declaration on Climate and Health)」が出されました。これに先立ち、2021年に開催された気候変動枠組条約第26回締約国会議におけるCOP26保健プログラムに基づき、世界保健機構(WHO)を事務局とする「気候変動と健康に関する変革的行動のためのアライアンス(ATACH::Alliance for Transformative Action on Heath)」が設立されました。
日本も2024年の第77回世界保健総会において、このアライアンスに正式に参加することを表明しました。 ATACHは、参加各国で知見とベストプラクティスを共有し、"気候変動に強靭かつ低炭素で持続可能な保健医療システムの構築"を目指していくものです。
こうした世界的な動きをふまえて、日本医療政策機構は、2024年に「保健医療分野における気候変動国家戦略~気候変動に強く、脱炭素へ転換する保健医療システムの構築に向けた提言書~」を公表しました。
この提言書では、気候変動の緩和と適応の両面から保健医療システムのありかたを検討しています。緩和策としては保健医療分野における温室効果ガスの排出削減のために、医療施設や設備、患者輸送、薬剤と医療用ガス、医療廃棄物における対策の方向性が示されています。適応策としては、熱中症・感染症と気候変動を結びつける研究の推進や災害時の保健医療分野の体制強化等の提言が示されています。
この提言の方針となる5つの原則を下記に示します。「プラネタリーヘルス」という概念や予防原則やエビデンスの重視、公平性への配慮のほかに、日本古来の自然観との調和という方針が示されていることが注目されます。
この提言書では、日本古来の自然観との調和の具体像を記してはいませんが、自然を無理に制御するのではなく、自然に即した緩和策や適応策を採用することが、人間の健康にとっても有効であるという視点は、気候変動と健康に関する問題の根本を見直すという意味で重要だと考えられます。
ここからは、気候変動のみならず、有害化学物質、自然環境の保全といった側面も含めて環境問題を広く捉え、「食」「住」「都市」の3つの側面から健康と環境の統合に関する概念や具体的な取り組みを整理していきます。
「食」については、国連食糧農業機関(FAO)及びWHOが協働で、2019年に「持続可能で健康的な食事の実現に向けた指針」 を策定しています。この指針の内容の要点は次の通りです。
また、プラネタリーヘルス・ダイエットについて、次のような具体的な説明を示しています。
なお、プラネタリーヘルス・ダイエットは、低肉食と摂取カロリーの抑制を図るものですが、これ以外にも地産地消や有機農業(環境保全型農業)といった食料システムの再構築もまた、環境と健康を両立させる方向として重要です。
「スローフード」、「身土不二」といった考えかたも注目すべきものです。健康と環境を統合するためには、地域のなかで自然と対峙するなかで培われてきた、自然に即した食文化を見直すことが不可欠だからです。詳しくは、それぞれのキーワードで検索して調べてみてください。
「住」の分野では、ゼロカーボン社会を目指すうえで、ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)の普及は不可欠であり、補助金や義務化等の政策が強化されています。ZEHはゼロカーボンという制約に対応する重要なインフラであるとともに、住む人にとってもメリットが大きいとされます。
メリットの1つめは経済性で、断熱や高効率化設備の利用により、光熱費の削減が可能となります。また、住宅用太陽光発電の設置により収入を得ることも可能となります。
2つめは防災性で、太陽光発電や蓄電池は非常時の電源としても役立ちます。
そして、3つめが健康性です。高断熱により、「家中の温度差が小さくなり、結露やカビの発生を抑えると共に、室温の差による体への負担が小さくなるため、健康で快適に過ごすことができる」(資源エネルギー庁「省エネポータルサイト」)とされます。
一般社団法人日本サステナブル建築協会が実施した「断熱改修等による居住者の健康への影響調査」では、表1のような結果が得られています。特に高齢者や障がいをもつ住民にとって、断熱による身体生理的な効果は重要であり、ZEHは弱者の健康のための住宅でもあるといえます。
表1 断熱改修等による居住者の健康への影響調査によって得られつつある知見
出典)国土交通省の報道発表資料より作成
身体生理的な効果に留まらず、ZEHにより気候変動対策に貢献している、あるいは非常時にも使える電源があるので安心できる等といったメンタルヘルスの面での効果も期待できるのではないでしょうか。
「都市」づくりにおいて、健康と環境の両面でのベネフィットを生み出す取り組みみとして、①ウォーカブルなまちづくり、②グリーインフラの充実による自然とふれあいのあるまちづくりの2つの方向性があります。
ウォーカブルなまちづくりは、歩きやすく、さらには歩きたくなる都市空間を整備することで、歩行による移動を増やし、自動車からの二酸化炭素や大気汚染物質の排出、あるいは騒音・振動等を減らすとともに、住民の健康づくりを促進することを狙いとします。
国土交通省都市の「ウォーカブル推進都市」では、WEDO、すなわちWalkable(歩きたくなる)Eyelevel(まちに開かれた1階)Diversity(多様な人の多様な用途、使いかた)Open(開かれた空間が心地よい)の4つの方針を示し、これに共鳴する383都市がともに具体的な取り組みを進めています(2024年11月末時点)。
また、都市のグリーンインフラもまた、直接的、間接的に健康を増進し、環境問題の解決に貢献します。健康増進効果としては精神的な癒し効果、歩行やレクリエーションを促すことによる心身の改善や維持効果が期待されます。さらに緑による二酸化炭素の吸収効果があるとともに、冷却効果によるヒートアイランドの緩和、さらには冷房用エネルギー消費の削減による気候変動防止といった効果が期待されます。
以上のようなウォーカブルなまちづくりとグリーンインフラの活用を合体させた都市を「ウォーカブル・グリーンシティ」と名付けることにします。その要件(例)を表2にまとめました。
表2 ウォーカブル・グリーンシティの要件(例)
出典)国土交通省「ウォーカブルなまちづくり」の指針であるWEDO、柏の葉国際キャンパスタウン構想委員会 健康まちづくり部会「柏の葉ウォーカブルデザインガイドライン」をもとに筆者作成
なお、ウォーカブル・グリーンシティは都市を想定していますが、農山村においても自動車利用を前提にせず、豊富な自然を活かすとともに、ウォーカブルな自然歩道を整備し、地域の魅力を高め、健康ニーズに応えていくことが考えられます。
健康と環境というテーマの最後に、「ロハス」(LOHAS:Lifestyles of Health and Sustainability)を取り上げます。直訳すると「健康で持続可能な生活様式」ですので、まさに健康と環境の統合に相応する言葉です。
ロハスを知らない若い世代の人も多いかと思われますが、アメリカの社会学者のポール・レイ と心理学者のシェリー・アンダーソンによる社会調査を基に生み出されたマーケティング用語です。消費志向性から消費者をセグメント化し、その中に環境や社会への配慮と健康を含む自己実現に高い関心を持つ層があり、その生活様式をロハスと名づけました。その後、関西を中心にロハスフェスタが継続的に開催されてきたように、一定の定着を得てきています。
インスタグラムで「#ロハス」と同時出現するハッシュタグを分析すると、ロハスフェスタに関する投稿が多く、またハンドメイドやオーガニックフード、自然素材等のキーワードが多い傾向にあることがわかります。今日の日本のロハスは、環境や社会への高い配慮意識というより、手づくり感のある暮らしを重視する志向性があるといえそうです。
持続可能な社会へのとりつきかたは多様であるべきことから、今日のロハス的なものを否定するつもりはありませんが、ここまで示してきた健康と環境の統合概念を考えると、時代の進展によりアップデートされた別のロハスのカタチの創造に期待したいところです。
たとえば、プラネタリーヘルスのような気候変動への意識、プラネタリーダイエットのような低肉食と摂取カロリーの抑制、ウォーカブル・グリーンシティのような都市づくりへの参加等を視野にいれた生活様式を「ロワス」(LOWAS:Lifestyles of Wellness and Sustainability)と名づけ、広げていくのは如何でしょうか。
本稿では、気候変動の問題を中心に、①環境問題が健康に与える影響が深刻であること、②環境問題の解決が困難になっている中でメンタルヘルスへの影響も出ていること、③気候変動と健康問題を統合的に解決する動きがあること、④食生活や住宅、都市づくりにおいて環境配慮と健康増進を両立させる方策があること、⑤健康で持続可能な生活様式のアップデートが期待されることを記してきました。
最後に、健康と環境の統合における注意事項として2点をあげます。
1つは、脆弱者が健康と環境の統合に関する動きに十分に参加できない可能性があり、強い立場にいる人々が自己実現を求めるだけでなく、脆弱者の健康にも配慮した社会を目指していく必要があるということです。つまり、健康と環境の統合を「〇〇中心主義」で考えてはならないということです。
2つめに、健康と環境の根本にある社会の構造や価値規範を考えるとき、市場を介したモノやサービスの消費に依存する外部依存型の社会の見直しを考える必要があるということです。外部に依存しない自立した生きかたをすることで、人間本来の持つ生命力を高めることが必要なのではないでしょうか。ロハスの原型として取り上げられることがあるヘンリー・D・ソローの「ウォールデン 森の生活」より、一節を引用します。
「難破船の残骸が打ち上げられた海岸や、生木や朽ちゆき木々の立つ荒野や雷雲や、三週間に続き洪水を呼ぶ雨のような無尽蔵の力を、広大で巨大で光景を目の当たりにして、生命力を取り戻さなければならない。私たちは己の限界を超越するものを、そして己には踏み入れることの叶わぬ場所でのびのびと生きる生命を、目の当たりにしなくてはならないのだ。」
健康で持続可能な生活はほっこりとしたしなやかなイメージのものでもありますが、それだけはなく、大自然と対峙することができる、心身ともに生命力あふれる力強いものであることをイメージしておきたいものです。
次回は、環境と福祉の基盤となる「コミュニティ」をとりあげます。