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環境と福祉の問題の根本的解決:「脱成長」は可能なのか|環境と福祉 問題解決のための「統合」とは【第18回】

2025年03月26日

環境と福祉  タイトル画像

本連載では、環境問題と福祉問題は相互に関連しており、統合的な解決が必要であることを記してきました。そして、統合的解決のためには、環境問題と福祉問題の根本ある社会の構造やメンタルモデル、すなわち根本問題をとらえ、根本問題を解決する必要があることにふれてきました。

では、根本問題とはなんでしょうか。人間中心主義(〇〇中心主義)、経済成長至上主義、技術万能主義、さらには資本主義等というように、根本問題には社会の構造やメンタルモデルを生み出してきた思想があることは確かです。それらの思想も相互に関連しあっており、より根本的な思想(たとえば資本主義)を問い直し、新たな思想を共有していくことも必要となります。

今回は「脱成長」という考えかたから根本問題に踏み込んでいきます。「脱成長」に関する日本語論文をCiNii(国立情報学研究所 学術情報ナビゲータ)で検索すると、2000年までは8件、2001~2010年に58件、2011~2020年に160件、2021年以降に131件となっています。もともとあったテーマですが、近年になってさらに注目され、論じられてきたことがわかります。

脱成長とはどのような考えかたなのか、脱成長と環境問題との関連、脱成長と福祉問題との関連を整理し、脱成長に関する論点の整理と現実的な方向性をまとめます。

イメージ写真1

マイナス成長を続けることでなく、定常化を目指す

脱成長(Degrowth)とは、平たくいえば、"経済成長至上主義"をやめ、経済成長(経済生産額の量的拡大)とは別の方向(経済の質的向上、あるいは経済以外の環境や社会の側面の質的向上)を目指していくことです。経済学者セルジュ・ラトーシュの著作「脱成長」(2007年)では、脱成長とは「生活の質、空気や水の質、そして経済成長のための経済成長が破壊してきた多くのものの質を向上させること」と記しています。

しかし、経済の質的側面を重視するとはいえ、実際には経済の量的側面を無視して、脱成長を考えることはできません。現実世界の一部分に脱成長の動きがあればいいというなら別ですが、経済全体をどうするかを考えないわけにはいかないでしょう。

たとえば、日本には人口減少や高齢化が著しい地域が多くあります。そうした人口減少地域では、一人当たりの経済生産額を高めたとしても経済のマイナス成長(縮小)は既に始まっており、それは今後も避けられません。このような地域での脱成長のゴールは、経済のマイナス成長に歯止めをかけ、将来的には経済の定常化(ゼロ成長)を実現することではないでしょうか。

一方、日本全体や日本の大都市圏、あるいは開発途上国における経済の量的拡大はしばらく続きます。そうした地域では、経済のプラス成長を無限のものとせず、将来的には成長率を鈍化させ、そのまま定常化(ゼロ成長)をさせていくことが、脱成長の現実的な到達目標になります。
つまり、図1に示すように、脱成長の現実的なシナリオは、プラス成長の段階にある地域はプラス成長から定常化、既にマイナス成長の段階にある地域はマイナス成長から定常化を図ることだと考えられます。

図1 脱成長のパターン(経済の量的側面)

図1 脱成長のパターン(経済の量的側面)

「市場経済以外の経済」と「フローではなくストック」を重視する

マイナス成長あるいは定常化の対象となる経済の量的側面について、詳しく考えます。

そもそも経済の量的側面でいうところの「経済」とは何を指しているのでしょうか。
広く「経済」を捉えれば、「市場経済」だけでなく、「贈与経済」、「自給経済」等も経済です。経済とは生産・分配・消費を行う仕組みであるとすれば、市場経済は市場を介して売り手と買い手の間で商品と貨幣を交換する仕組みです。
これに対して、贈与経済は、貨幣の支払いという金銭的な見返りを求めず、他者とモノやサービスを贈り合う仕組みです(ギフトエコノミーともいいます)。また自給経済は、他者と交換せずに、自分(家族等の単位)で生産し、自分で消費するものです。
いずれの経済であっても、自分が欲しいものを得て、満足を得ることができる可能性を持ち、市場経済でなければ人々が満足できないというものではありません。脱成長において縮小の対象とする経済は市場経済のことで、脱成長は贈与経済や自給経済を活発化させていくという質的な転換の方向性を持ちます。

自給自足のイメージ写真

脱成長でいう市場経済の成長は、年間総生産額のようなフローを対象にしています。しかし、フローではなくストック(資本)も経済の量的側面として重要な意味を持ちます。ストック(資本)は貯蓄額などではなく、経済活動を支える基盤となるもので、自然資本、人工資本、人的資本、社会関係資本と4つとして捉えることができます。
これらの資本が整備され、健全に維持されていることで、人々は豊かに暮らすことができます。これまでの経済成長は「フローを増やす」ことを目指してきましたが、脱成長はフローの追求をやめ、「ストックを増やす」、「ストックの質を良くする」、「ストックの分配や分布を適正にする」という方向性を持つものです。

図2 脱成長の対象となるフローとストックの関係の変化

図2 脱成長の対象となるフローとストックの関係の変化


これまでの経済成長で追及されてきたフローとしての市場経済での交換は、それ以外の贈与経済と自給経済、あるいはストックとしての4つの資本を弱体化させる性質をもっていました。このため、脱成長では、市場経済一辺倒ではなかった時代に活発であった贈与経済、自給経済を見直して、新たな形で再生し、それによりストックの量を増やし、ストックの質を高めることが目標になるでしょう。

先に脱成長は経済活動の量の定常化を目指すと書きましたが、これは市場経済の定常化を目指すものです。
この定常化の状態をどのような姿として達成するかは、市場経済以外の経済のフロー、あるいはストックをどのように高めていくか次第です。
たとえば、第一次産業が活発な地域で自給経済での賄いを大きくすれば市場経済はかなり小さくすることができます。また、社会関係資本というストックを充実させれば、人と人の助け合いが活発化し、市場を通した交換に依存をしなくてもよくなります。市場経済の量をどのレベルで定常化させるか、経済の質をどのような中身にするかの答えは、地域特性や人口構成等によって異なるものと考えられます。

脱成長の考えかたの変遷:批判から具体化へ

ここまで、筆者なりの脱成長という考えかたの解釈を記しましたが、脱成長に関する考えかたは一様ではなく、時代とともに変化してきています。脱成長の考えかたの変遷を3段階に分け、時代背景とともにまとめました。

第1段階は、1970年の経済成長への批判的問いかけです。きっかけは世界の有識者で構成された民間組織であるローマクラブが発表した「成長の限界」でした。
人口増加と経済成長が続くと、有限な地球においては生態学的破壊と社会崩壊の可能性があることをシステムダイナミックスという手法を用いて予測し、警鐘を鳴らしました。
さらに1970年代には米国の環境経済学者ハーマン・デイリーが持続可能な発展にかかる3原則を示しました。
この3原則は、(1)再生可能な資源の消費速度は、その再生速度を上回ってはならない。(2)再生不可能資源の消費速度は、それに代わりうる持続可能な再生可能資源が開発されるペースを上回ってはならない、(3)汚染の排出量は、環境の吸収量を上回ってはならない、というもので、人類の活動への制約条件を示しました。
1970年代は深刻な公害問題が顕在化したことで、環境対策を優先して実施する段階にあり、経済成長の追求への批判が高まった時代でした。また、オイルショックによる経済の停滞を経験して石油依存の問題が顕在化し、社会の見直しの機運が高まった時代です。
フランスの哲学者アンドレ・ゴルツは「エコロジスト宣言」を著し、「人々は、より少なく働き、より少なく消費することによって、よりよく生きることができるのだ」といったテーゼを提示しました。ここに脱成長の考えかたの原型があります。

その後、1980年代・1990年代には持続可能な発展という考えかたが示され、環境と開発に関する国際的合意を進め、環境対策の社会的受容性を高めるマジックワードとなりました。このワードがオブラートとなり、脱成長という考えかたが薄められたようにみえます。

第2段階は、2000年代の脱成長の具体化です。2000年代前半にセルジュ・ラトゥーシュが脱成長をテーマにした著作を著し、脱成長の考えかたが成熟し、具体化される流れがつくられました。
ラトゥーシュは「脱成長は世界を変えられるのか? 贈与・幸福・自律の新たな社会へ」という著作の中で、持続可能な発展という考えかたを批判的に捉えています。同著の中で「持続可能な発展は、単なる発展、開発や従来型の経済成長と峻別されるけれども、現行の経済成長モデルに基づいていることに変わりない」「脱成長というスローガンが誕生したのは、持続可能な発展の拡張的用法が作り出す欺瞞から抜け出すためである」と記しています。

持続可能な発展という考えかたが環境と経済・社会の統合的発展として具現化される一方で、リーマンショックや大災害等の未曾有の危機が顕在化し景気停滞が続くなか、環境対策による経済成長(すなわち、グリーン成長)という政策が強く打ち出されるようになりました。これに対して、脱成長の立場から具体的な代替案が示されました。

2020年以降は、脱成長の議論の第3段階にあるといえます。日本では斎藤幸平「人新生の資本論」において、気候変動問題の焦点をあてて脱成長が提唱され、議論が広がるようになりました。2050年にゼロカーボンを目指すこととなり、目指すべきゼロカーボン社会を具体化するうえで、グリーン成長だけでない、それとは異なる代替案として脱成長の考えかたの議論が活発化してきました。
斎藤氏は「脱成長は、GDPに反映されない、人々の繁栄や生活の質に重きを置く。プラネタリーバウンダリーに注意を払いつつ、経済活動の収縮、社会保障の拡充、余暇の増大を重視する経済モデルに転換しようという一大計画なのである。」と記しています。

このように、脱成長という考えかたは、環境・資源の制約の警鐘や経済成長至上主義への批判から始まり、持続可能な発展、さらにはグリーン成長を主流化する動きを批判的に捉えてきました。そして、物事を流れのまま進めようとする「慣性」から抜け出し、代替システムへの転換の方向性を提供してきました。(表1)。

表1 脱成長の提起の時代変遷

表1 脱成長の提起の時代変遷

一部の代表的な著作を引用しましたが、脱成長の提唱者はそれぞれの時代に他にもいます。先に示した、「脱成長は最終的に定常化を目指す」「脱成長は市場経済以外の経済、フローではなくストックを重視する」という考えかたは筆者の考えで、定常化を目標としない脱成長の考えかたもあります。いずれにせよ、慣性システムの根本を問題として捉え、アンチテーゼとして脱成長を提唱しています。

脱成長と環境対策(気候変動対策)との関係

脱成長と環境問題、特に気候変動の問題との関連を具体的に示します。
ゼロカーボンを実現する4つの対策は表2のように整理できます(「ゼロカーボン」を通じた持続可能な地域づくり|SDGsと地域活性化【第2部 第6回】)。

表2 4つのゼロカーボン対策(二酸化炭素の排出部門別)

表2 4つのゼロカーボン対策(二酸化炭素の排出部門別)

たとえば、民生(家庭部門)では、住宅で使う家電製品の省エネ化、住宅の高断熱化等によってエネルギー消費量を減らし、残るエネルギー消費を再生可能エネルギーで賄うというという対処的技術対策がゼロカーボンの方針とされます。これにより、設備投資を促し、経済を活性化させるというのがグリーン成長の考えかたです。

しかし、対策には対処的技術対策だけでなく、構造的社会対策があります。民生(家庭部門)での構造的社会対策は、多世代同居やシェアハウスのよう居住形態を変える対策や自然に即した暮らしをするというものです。これは需要側においてエネルギー消費量を根本的に減らします。この構造的社会対策は設備投資を促すものでなく、市場経済を活性化することになりません。この構造的社会対策が脱成長の考えかたを具体化したものです。

対処的技術対策は、経済成長と環境負荷のデカップリング(分離)を図るものです。経済活動量当たりの環境負荷を減らすことで、経済成長プラス・環境負荷マイナスを実現することができます。しかし、こうした対策にはリバウンド効果がつきまといます。家電製品の省エネ化が進めば、それならばもっと大型の家電製品を購入しようという消費者意識が働きます。ハイブリッドカーで燃費性能があがれば、もっと遠出のドライブを楽しもうとなり、結果として燃料消費量が増えることがあります。
リバウンド効果があることから、経済成長至上主義を改めないままのグリーン化には問題があるとし、脱成長論者はグリーン成長の欺瞞と呼んで、批判をしています。

構造的社会対策はグローバリゼーションからリローカリゼーション、大量生産・大量消費・大量リサイクルによる物質経済から脱物質化やサービサイジングを図るものです。リローカリゼーションは移動や輸送の距離拡大を是正するとともに、途上国等への環境負荷のつけまわし、環境負荷の外部化や安価な労働力への依存による製品の低価格化、それによる過剰消費等といった構造的問題を是正するものです。

筆者は、対処的技術対策とともに構造的社会対策があることを市民が学び、それを含めて、ゼロカーボン社会の目指すべき姿を考え、共有していくプロセスが重要だと考えています。その際、市民にとって、構造的社会対策は自分の欲求の我慢をするものではなく、生きづらさの解消や依存しない暮らしの楽しさの創出、他者につけまわしをしない暮らし(構造的暴力の加害者とならない暮らし)への転換につながるものであることをよく考える必要があります。

筆者が岡山にいた時に、ある地域でゼロカーボン社会を検討する市民の場を企画・運営したことがありますが、そこでは市民が構造的社会対策を中心にした将来ビジョンを作成しました。
脱成長は絵空事の理想論ではなく、自分が実行可能で既にやっていることであり、困難でなく容易で楽しいもの、他者につけまわしをしない正義の実現であるとイメージできると思います。脱成長的な未来を望む人々は多いのではないでしょうか。

脱成長と福祉対策との関係

福祉対策のなかには、経済成長至上主義の慣行システムの中にあるものと、脱成長を具現化する方向のものがあります。
慣行システムでの福祉対策は、経済成長により福祉財源を確保し、社会保障を充実させるという公助によるものです。経済成長によって福祉の自己負担能力を高め、市場を介した福祉サービスの調達を活性化させるという自助もまた、経済成長主義の考えかたの福祉になります。つまり公助にせよ、自助にせよ、経済成長が前提です。これ対して脱成長の方向での福祉は互助によるもの、すなわち社会関係資本というストックを強め、贈与経済による相互支援を活性化させるものです。

公助、自助、互助のいずれも重要であるとはいえますが、人口減少と少子高齢化が進行する状況の中で、経済成長の維持はますます困難なものととなるでしょう。それでも経済成長を求めてしまうと、ますます頑張らなければいけなくなり、生きづらさを強く感じる人が増えます。
AIやロボットが生産性を高めると、労働に余裕ができるかもしれませんが、働きがいが損なわれ、精神的な迷子になる人が増えるという危惧もあります。また、富裕層と貧困層の格差が拡大し、弱者の切り捨てにつながる恐れが出てきます。

経済成長の追求を堰堤とした福祉(公助の強化、あるいは自助の強化)には限界があり、脱成長の方向での福祉(互助の強化)を用意しておく必要があります。公助や自助をやめようというわけではありません。長期的な視点から脱成長という考えかたを盛り込んだ福祉の計画を作成し、公助、自助、互助をバランスよくデザインしていくことが求められます。

脱成長を織り込んだ福祉対策の方向として、次のことが考えられます。

  • 余暇時間の創出によるケア活動、コミュニティ活動の参加の活発化
  • 無給のケア労働の持つ社会的価値の再評価と再構築
  • 地域ぐるみでの社会的包摂の仕組みづくりによる地域互助力の強化
  • ケアの担い手の待遇改善と育成、AIやロボットの賢い活用

なお社会保障の負担については、少子高齢化が進むなかで社会保障の自己負担増が不可欠となり、負担の世代間格差の問題が深刻になっています。このため、今日では、教育無償化などの若年層への社会保障を充実させ、福祉の格差是正、負担軽減による子育て環境の改善(→少子化改善)という政策がとられるようになっています。

若年層向けの福祉施策のみを強調するのは刹那的で、人気取り政治の戦術にみえてしまいます。長期的な視野をもって、世代間格差の是正を行いながら脱成長時代の福祉への移行をデザインしていく必要があります。

ケアボランティアのイメージ

脱成長に関する4つの論点

ここまで、脱成長は環境と福祉それぞれの根本的な対策として、必要かつ有効な方向性であることを示してきました。しかしそれでもなお、脱成長の受容は簡単なことではありません。4つの論点を示します。

第1に、脱成長が目指す状態は経済活動の総量の定常なのか、単位量の定常なのかという点です。経済活動の総量は地域における総生産額、単位量は地域における人口当たりの総生産額を指します。
日本の地域では遅かれ早かれ人口減少が進みますので、総量を定常化させることは単位量を増加させることを意味します。このためには、AI等の技術進歩と普及による生産性の向上、あるいは外国人労働者の受け入れ拡大などの方策が必要となります。これは可能かもしれませんが、労働者のやりがい(ディーセントワーク)を損なう可能性もあります。

一方で、単位量の定常化を図る場合には、人口減少により総量が減少することになりますので、地域の行財政のひっ迫、公共インフラの維持・更新、公的な社会保障のサービスの低下等を招く恐れがあります。
総量の定常化、単位量の定常化、それぞれのデメリットを考慮し「総量定常化・単位量拡大」「総量ほどほど縮小・単位量そこそこ拡大」「総量縮小・単位量定常化」といった組み合わせのうち、どれを選択していくのかが検討課題となります。

第2に、市場経済の中で活動する企業は脱成長を受容できるのか、という点です。企業がマイナス成長はもとより、定常化を受け入れることが困難な理由として、①株主が配当や株価の上昇を求める、②銀行の融資が得られにくくなる、③設備やインフラの維持管理や更新コストがかかる、④技術開発や研究投資ができずに市場競争力を失う、⑤給料をあげることができずに労働力を失う などがあげられます。

これらの阻害要因は絶対に解消できないものではありませんが、最終的には経営者・従業員・投資家等のメンタルモデル、すなわち「企業は成長しなければならないという固定観念」を手放すことが課題となり、なかなか大変なことです。
しかし、大胆な変革を恐れなければ、企業の脱成長を企業の脱成長をポジティブに進めるという戦略も絵空事ではなさそうです。オフィスを縮小し、在宅勤務を増やし、労働時間を減らすことで、労働者は余暇時間を増やすることができ、逆に良い労働者を集めて、質のよい仕事をすることができるかもしれません。

第3に、国民は脱成長を受容し、幸福度を高めることできるのかという点です。企業は縮小しても計画的に対応することができますが、国民は脱成長下で収入が減る場合に幸福度を高めることができるでしょうか。高齢層はまだしも、若年層は子育て、教育、住宅取得等のライフステージに応じた資金が必要となりますので、収入増は不可欠になります。
ライフステージによって脱成長の受容度が違うとするならば、高齢者が縮小を受けいれ、若年層はそれなりに拡大していき、地域平均で脱成長になればいいと考えられます。
また、都市住民が地方に移住し、農業で生計をたてていく場合、一般的に収入は減りますが、互酬経済や自給経済の部分は豊かになります。国民の脱成長も無理なことではなく、生産性向上の因習から解放されることで、幸福度を高めていくことができそうです。つまり、一人ひとりのケースに応じた脱成長を丁寧にデザインしていくことで、脱成長を通じた幸福度の向上を図ることは可能です。

第4に、脱成長の不利益は弱者につけまわされ、結果として格差が拡大するのではないかという点です。政策の方向性が脱成長の方向に舵をきったとしても、既に富を持っている人は生活に困ることなく生きていけますが、を持たない弱者は衣食住の確保すら困難になる可能性があります。富を持たない弱者は生活に困窮した結果、進学や就職に苦労し、結果、貧困のスパイラルが生じ、格差が拡大するというケースが考えられます。
このため、脱成長政策は富の再分配、弱者への支援という社会保障の整備と組み合わせて実施すべきものです。一方、富を持つものの意欲の減退や国外への流出等の懸念が出てきますので、富を持つものを排除しない政策も検討しなければなりません。

経済的弱者のイメージ

「選択的計画的脱成長」による最適化をどうデザインするか

ここまで、脱成長は人口縮小化において避けられないものであり、脱成長を環境問題や福祉問題の根本解決につなげていくことができること、脱成長の方向での取り組みは具体化できるものであることを示しました。
また、脱成長はマイナス成長を目指すものではないものの、実際には経済活動の単位量を減らす可能性があるため、企業や国民の受容性が問題になるという論点を示しました。格差拡大も懸念されます。

しかし、それでもやはり、脱成長の検討は避けられないのではないでしょうか。少なくともその可能性を想定し、準備をしていくことは必要です。かつては地域行政では人口減少を全体とした計画はタブーとされましたが、今が当たり前のこととなっています。それと同様に、経済のマイナス成長あるいは定常化を前提とした計画が当たり前のこととなっていく可能性があります。脱成長を先送りにしてしまうことで、問題がますます深刻化することを考えると、脱成長を前向きに捉えた計画的取り組みに早めに着手することが望ましいのではないでしょうか。

最後に、脱成長を前向きに捉えた計画的取り組みを進める方策として3点をあげます。脱成長には、何をどう縮小するかという具体的な選択が必要であるため、「選択的脱成長」という言葉を使います。

第1に、地方自治体がそれぞれの状況に応じた選択的脱成長の計画を策定することです。
工業が集積する地域で人口減少がこれからの地域、農林水産業が基軸で人口減少が既に進行している地域、人口の集中傾向にある県庁所在都市等において、地域の産業のどの産業の縮小に備えていくのかを具体的に検討します(地域の成長産業ではなく、縮小産業を設定する)。
この際、公正な移行の考えかたから、縮小産業においては、ゼロカーボンという制約やケア需要の高まりを受ける産業への移行を計画し、地域ぐるみの支援策を考えます(参照:気候変動対策における「公正な移行」を中心に考える、労働者と環境問題の関係|環境と福祉 問題解決のための「統合」とは【第15回】)。
企業単独で脱成長を計画的に取り組むことは困難ですので、地域ぐるみの脱成長計画を地方自治体と企業が一体となって作成することが現実的だと考えます。

第2に、選択的脱成長の計画と実践を先行して行う「脱成長先行地域」を指定し、社会実験を先駆的に実施することです。
ゼロカーボンに向けて脱炭素先行地域の指定が進められていますが、それと同様に脱成長をテーマにした持続可能な未来に向けた先行地域での実践を進めるべき段階になっていると考えます。脱成長先行地域とは、サステナビリティとウエルビーイングを最適化することを目指すものですので、「グッドライフ先行地域」等と呼んでもいいかもしれません。

第3に、脱成長の選択を行う市民未来会議を設置し、継続的に運営していくことです。
脱成長のメリットとデメリット、デメリットの解消可能性等を学び、方向転換の先にある働き甲斐のある仕事や楽しい暮らしの姿を共有する検討の場を設けることで、市民間の関係を強め、市場経済の縮小を代替する贈与経済や自給経済の活力を高めていくことができます。

脱成長を避けずに前向きに取り組んでいくことが、環境問題と福祉問題の根本解決の道を拓くのではないでしょうか。それを受け入れていくためには、人口縮小をタブーとしたかつての地域計画の失敗から学ぶ必要があります。また、脱成長の選択肢を具体化すれば、脱成長は楽しく、幸福感に満ち溢れたものであることも見えてきます。サステナビリティやウエルビーイングを統合した指標をGDPの代わりに構築し、国や地域、企業の計画の道具にすることも必要になるでしょう。
脱成長について様々な意見があると思いますが、イメージで捉えずにその具体像を考えることが必要だと思います。本稿がその一助となれば幸いです。

次回は、弱者の視点から環境問題を考える際の規範となる「環境正義」をとりあげます。

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SDGsの基礎知識