2025年06月13日
"さかなのプロ"ながさき一生(いっき)さんの連載「海と漁業とSDGs」。今回から2回にわたり、人口増加に伴うたんぱく質危機と、その対策を進める水産業の取り組みについて、2回にわけて解説します。
みなさん、こんにちは。おいしい魚の専門家、ながさき一生です。
日本では昨今、人口減少が問題となっていますが、世界全体で見れば、人口は増加傾向にあります。それによって2030年頃に訪れるといわれているのが、たんぱく質の需要が増えて生産が追いつかず不足する「たんぱく質危機(プロテインクライシス)」です。
ご存知の通り、魚にはたんぱく質が豊富に含まれています。
つまり、持続可能性な水産事業を展開することは、「たんぱく質危機」の解決にもつながっていきます。その中で注目されているアプローチの1つが、今回ご紹介する「陸上養殖」です。
まずは、「たんぱく質危機」の原因となる、世界の人口動向をあらためて確認してみましょう。
「世界人口推計2024年版」によると、世界の人口は、2024年に82億人に到達。今世紀末までに102億人になると予測されています。
これに伴い、食料需要の増加が見込まれていますが、なかでも需要が拡大し続けているのは水産物です。
日本では「魚離れ」と言われる状況の中、世界での魚の消費量は増加し続けています。なお、世界の1人当たりの食用水産物の消費量は、過去半世紀で約2倍に増え、そのペースは衰えをみせていません。
世界中で水産資源の食糧消費量が高まっている ※画像はイメージ(Adobe Stock)
一方で、魚をはじめとする水生生物は子孫を残すため、水産資源は再生産可能ではあるものの、無尽蔵に獲れるわけではありません。FAO(国際連合食糧農業機関)がまとめる世界における漁獲量の統計を見てみると、その全体量については1990年代には伸びが止まり、9000万トンに満たない程度で横ばいに近い動きで推移しています。(ただし、これは現状活用している魚種の話であり、活用しきれていない魚種もあります。全体を活用しきれていないので、天然の資源にもポテンシャルはまだあると私は見ています。)
これに対し、伸び続けているのが養殖です。同じFAOの統計では、養殖による水産物の生産量は9440万トン(内水面養殖含む)に達し、天然漁業の生産量を初めて上回って過去最高を記録しました。
しかし、養殖による生産量も無限に増え続けるという訳ではありません。たとえば、育てる対象となる種苗や餌に対して、天然の水産資源が用いられることもまだ多くなっています。
「天然が頭打ちなら、養殖を増やせばよいだろう」と安易に考える人がいますが、天然から獲ってきた小魚を生け簀に入れて、天然から獲ってきた餌をあげていては、ただ魚を移動させているだけで話は同じです。これを解決するために、生け簀にいる魚から卵を採って育て、またその卵を採って育てるというサイクルで養殖を実現する完全養殖の開発がされたり、天然の魚に頼らない餌を開発したりすることが進んでいます。
さらに、養殖がいずれ頭打ちになるだろうという理由の1つは、水圏で養殖ができるのは条件の整った一部の海や湖に限られるという点も大きいでしょう。こうした背景もあって、近年注目されているのが「陸上養殖」です。
陸上養殖は、海や湖ではなく、陸上に設置された水槽やプールで魚を育てる養殖手法です。最近では、水を入れ替えずとも、ろ過・再利用しながら使い続けられる「閉鎖循環式」という方式が用いられることが増えています。
水槽を活用した「陸上養殖」施設で生産されるサーモン ※画像出典:農林水産省ウェブサイト
陸上養殖は、天候や自然環境の影響を受けにくいという利点があります。また、閉鎖された環境で水質や温度、酸素濃度などを緻密に制御できるため、高い生産効率と品質管理が可能になると期待されています。
ただし、陸上養殖の運営には相応のコストも発生します。施設建設時の初期投資や、設備維持のための電力や資材、水槽内で発生する汚れの廃棄物処理についても負担が発生する点には留意が必要でしょう。
陸上養殖の主な参入企業には、閉鎖循環式でサーモンを養殖するFRDジャパンや、マサバやエビの生産を進めるニッスイ、アトランティックサーモンの商業化を目指すマルハニチロ、三重県で大規模施設を建設中のソウルオブジャパンなどがあり、各社が事業拡大に取り組んでいます。
さらに、この陸上養殖には、水産業以外の企業も多く参入しています。
他業種から陸上養殖に参入する企業が多い、主な理由を3つご紹介しましょう。
① 場所を選ばない
陸上養殖は、海岸線に依存せず、都市近郊や内陸部など、消費地近くでの施設設置が可能です。
物流コストの軽減やフードマイレージの短縮、CO₂排出量の削減にも貢献できることから、IT・エネルギー・インフラ業界など、大資本の企業が参入しやすい事業となっています。
② スマート技術との親和性が高い
自動給餌、水質管理、遠隔監視といった、IoTセンサーやAI技術との親和性も高いといえます。
生産の効率化と労働負担の軽減を同時に実現できるので、漁業従事者の高齢化や人手不足といった課題解決への貢献もできます。社会的意義の高い事業と考え、陸上養殖に取り組む企業や自治体も出てきています。
③ 周辺水圏への影響が少ない
施設内で水を循環・浄化して再利用するため、排水を自然の海や川へ流さず、周辺の水圏環境にほとんど影響を与えません。
この特性が、環境保全やSDGsへの具体的な貢献として評価され、他業種から参入するきっかけにもなり得ています。
これらの理由に加え、閉鎖循環式といった陸上養殖の基礎技術が以前よりも一般的になってきており、資本と土地があり、種苗や餌などの仕入先を確保できれば生産が可能で、新規事業が行えるという点が大きいと言えるでしょう。
では、異業種から陸上養殖に取り組む事例をご紹介していきましょう。
実際に異業種から参入した事例として、NTT東日本の取り組みを2つご紹介します。
NTT東日本は、福島県で食料品を中心としたスーパーマーケット事業を展開している株式会社いちいと、岡山理科大学と協業。ベニザケの陸上養殖の実証実験を開始しました。
ベニザケは国内外で人気の高い魚種です。しかし病気に弱く、成長が遅いことから、これまで事業規模の養殖には成功していませんでした。
本プロジェクトでは、岡山理科大学の研究による「好適環境水(※)」と、NTT東日本のICT技術を活用した養殖システムにより、通常4年かかる成長期間を1年半に短縮。大幅な期間短縮で体長50cm、重さ1.2kgの出荷サイズのベニザケを育てることに成功しました。
※海水の中から魚類に必要な成分を取り込むことで、淡水魚も海水魚も同じ水槽で飼育できるようにする人工飼育水
陸上養殖によって通常の1/3程度の期間で出荷サイズに成長したベニザケ 画像出典:PR TIMES
今後は、店舗で試験販売を行いながら、安全・安心な環境で養殖した生食可能なベニザケを提供していく予定だといいます。事業が軌道に乗れば、水産物の安定供給に加え、地域の新たな産業創出や地産地消の推進にもつながると、個人的にも注目しています。
同社は自治体との連携事例もあります。
2025年2月、気仙沼市およびNTTグリーン&フード、NTT東日本は「陸上養殖事業の推進及び地域活性化等に関する連携協定書」を締結したと発表しました。
NTT東日本は、前述の通り、通信・インフラ企業としての強みを生かせる陸上養殖を、技術力によって全面サポート。本取り組みは、2011年に発生した東日本大震災による津波被害を受け、若い世代の都市部への流出が進む気仙沼市の水産業活性化に寄与することを目指しています。
陸上養殖の事業を推進することで、気仙沼市の、持続可能な地域社会の実現を目指している。陸上養殖施設の操業開始は、2026年を予定 画像出典:PR TIMES
この陸上養殖施設では、NTT東日本の通信網を活用して遠隔で水槽内の環境を監視・制御する仕組みや、AIを使った魚の成長予測と自動給餌システムを導入。ギンザケの中間魚(※)、トラウトサーモン成魚の生産・販売を行う予定だといいます。
※海での養殖に適した大きさと抵抗力を持つまで育成された稚魚
企業と自治体による陸上養殖の取り組みが成功すれば、遊休地を活用した陸上養殖事業を展開することで、地元雇用の創出や地域振興にもつながる可能性もあるでしょう。
NECネッツエスアイののグループ会社である「ネッツフォレスト陸上養殖」では、閉鎖循環式の陸上養殖施設(山梨県)を運営し、サーモンの陸上養殖に取り組んでいます。
この施設は、これまでに培った養殖ノウハウとAIなどを活用したデジタル技術を組み合わせ、サーモンの陸上養殖事業の立ち上げに必要なライン構築から販路開拓までを含めた一連の支援を行っています。
同社のサーモンは、2023年に銀座三越で世界先行発売。NECネッツエスアイグループは当時、国内のみならずアジアを中心とする海外への陸上養殖のフランチャイズビジネス展開を見据え、パートナーを含めたビジネス全体で2029年度に年間売上300億円を目指すと発表しています。
同社の国産陸上養殖サーモン。銀座三越で刺し身・にぎり・切り身などで提供された 画像出典:PR TIMES
都心に近い内陸で安定的に生産・出荷できる仕組みは、輸送による鮮度低下を防ぎ、フードマイレージの削減(輸送で発生する環境負荷の低減)にもつながります。環境と食の両面からSDGsへのアプローチを実現しており、個人的にも広がりを期待しています。
現在、盛り上がりを見せている陸上養殖ですが、まだまだ多くの課題があり、多くの知見やリソースを必要としている状況です。そのなかで、他業種からも多くの企業が参入してきていることは、大変心強いことです。
陸上養殖は、より持続可能な形で養殖・魚肉生産を行っていこうとする1つのアプローチであるといえます。これを真にタンパク質危機を乗り切るための方法にするには、これからも研究開発が欠かせないでしょう。
ぜひ、多くの方に関心を持っていただけたらと思います。
次回は、陸上養殖以外の持続可能な魚肉生産方法として、細胞培養と未利用魚・低利用魚の活用について解説します。