2021年03月25日
2021年のNHK大河ドラマの主人公で、2024年から発行される新紙幣1万円札の肖像に選ばれた渋沢栄一。生涯で500社の会社の起業・育成に関わり、今日の日本経済の礎を築いた業績から、「日本の資本主義の父」と呼ばれています。
そんな渋沢栄一が100年以上も前に残した著書『論語と算盤』の中には、お金を循環させながら持続可能な社会を育む、「SDGs」を実践するためのヒントが詰まっています。
語り/渋澤 健 構成/講談社SDGs
はじめまして、渋澤 健です。渋沢栄一は私の高祖父、つまり、祖父の祖父にあたります。
偉大な高祖父について昨今、「渋沢栄一の時代が来た」と言われるようになりました。でも私はむしろ、時代が渋沢栄一を呼び起こしているのではないかと感じています。
『論語と算盤』には、現状に満足せず、「もっといい社会、もっといい経営者、もっといい国民になれる」と人々を鼓舞する未来志向が描かれています。これは経済、社会、環境を軸に、地球上の誰一人取り残すことなく、「誰もが安心して安全で持続可能な社会を目指す」SDGs(=持続可能な開発目標)とまさに同じです。
『論語と算盤』は現代の企業や経営者に必要不可欠な視点であり、「SDGsは同著書の現代的かつ地球的な実践である」と言い換えることもできると考えています。
千代田区大手町の常盤橋公園にある渋沢栄一像
私が「渋沢栄一」を意識したのは、2001年に40歳で独立した後のことです。小学校2年生から大学までアメリカで育った私は、それまで高祖父のことを身近に感じたことはほとんどありませんでした。しかし、独立を機に手にした『論語と算盤』に、私は大きな衝撃を受けました。そこには、過去の時代のレガシーや課題を抱えながらも、新しい時代に相応しい創造を可能にするヒントがぎっしり詰まっていたからです。
渋沢栄一が活動していたのは、それまで数百年続いた江戸時代が終わり、明治というまったく新しい時代が動き出した大きな変革期でした。それまでの前例が通じず、先が不透明な世の中において、「見えない未来を信じる力」はもっとも有用だったことでしょう。
今、再び渋沢栄一の『論語と算盤』が注目されているのは、私たちが現在、当時と同じように"大きな歴史の転換点"にいるからではないかと私は見ています。
新型コロナウイルスの登場により、それまでの「当たり前」は一気に当たり前ではなくなりました。人々の移動や集まりは制限され、国境まで閉ざされるという前代未聞のショックが世界中を震撼させました。
天災は、いつやってくるか分かりません。しかし、予期せぬ天災や人災のリスクにさらされながらも、人類は経済を循環させてきました。困っている人を助け合い、止まることなく社会を動かし続けることは、生きることの本質だと私は考えています。経済の循環は同時に先進国に富と発展をもたらし、人々はその恩恵も享受してきたのです。
ところが近年、こうした「前時代」的な経済活動や資本主義、民主主義に対し、特に若者層から失望感や反発が生まれるようになりました。
過去20年間、世界のGDPは右肩上がりでした。何度かの危機はあったものの、危機のたびに危機回避の金融緩和や財政政策が行われ、上昇し続けてきた世界経済を震撼させたのが、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件でした。
これはいわば"一人勝ち"していたアメリカ社会に、取り残された人たちの「怒り」がゆがんだ形で表現されたテロ事件です。リーマンショックが起こった背景にも、ごく少数のエリートによって動いているウォールストリートへの怒りがあったと思います。黒人に対する暴力や人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter、略称「BLM」)や、トランプ前大統領支持者による連邦議会襲撃事件なども、行動のきっかけは「怒り」だと思っています。
スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの登場も、多くの人に衝撃を与えました。2019年9月にニューヨークで行われた国連気候行動サミットで、「あなた方は、金の話や永遠の経済成長というおとぎ話ばかり。よくもそんなこと言えるわね!」と大人たちを糾弾したグレタさんの怒りのスピーチは、世界中の人々の意識や行動変容を生み出しました。
経済成長の恩恵を受け、環境対策に有効な手段を打ち出すより、経済優先の「金儲け」を続ける古い経済観にNOを突きつけたグレタさんは、持続的な社会の実現を呼びかけ、多くの人々の支持を集めています。
『論語と算盤』の第7章「算盤と権利」には、「合理的の経営」という教えがあります。ここで渋沢は「一個人のみ大富豪になっても、社会の多数が貧困に陥るような事業であったならば、その幸福は継続されない」といっています。
これは、経営者一人が大富豪になっても、そのために社会多数が貧困に陥るようなことではその幸福は継続されないということです。
渋沢は決してお金儲けを否定しているわけではありません。しかし、経営者が稼ぎの手段を選ばず、儲けを独り占めしては、持続可能な社会は実現できないでしょう。1%が大富豪になっても、99%が取り残されていたら、その幸福や「well being」は継続されないからです。
これは、SDGsが目指す「誰一人取り残さない」社会と同じ考え方であり、「持続可能性=サステナビリティ」が重要だといっているのです。
渋沢栄一は「資本主義の父」といわれていますが、渋沢自身は経済活動を「資本主義」という言葉ではなく「合本(がっぽん)主義」という表現で示していました。
日本の銀行をつくりだしたのは渋沢栄一の偉業のひとつですが、これも「一滴一滴が大河になる」という合本主義に基づいた事業でした。
渋沢が500もの会社設立に関わったのは、自分の利益を増やすためではなく、多くの会社を興すことで、日本経済を発展させて国力を上げ、そこで働く人々に富と幸せを届けるためです。
渋沢はSDGsが登場する100年も前から「道徳経済合一論」によって、誰一人取り残さずにみんなが豊かさを手に入れられる社会を目指していました。つまり、「儲けることも大事だけれど、サステナブルであることはもっと大切」というSDGsへの取り組みを進めることは、私たち日本人にとっては、実は"原点回帰"とも言えるのです。