「と(&)」の力で持続可能な未来をつくる──曾祖父・渋沢栄一に学ぶSDGs②

2021年05月19日

「論語」と「算盤」という異なる2つを結びつけ、持続可能な社会を目指した渋沢栄一。SDGsの目標達成にも、「と(&)」の力が不可欠です。『論語と算盤』の教えから、その理由をひもといてみましょう。

語り/渋澤 健 構成/講談社SDGs

SDGsに必要なのは「と」の力

SDGs達成のためには、コロナ禍前の世の中でも年間2.5兆ドルの資金が必要だといわれていました。これは、国や政府の予算だけでまかなえる金額ではありません。事業や経済の成長と両立し、さらに新しい価値を創出していかなければ実現は不可能でしょう。『論語と算盤』では、この点でも大きなヒントを与えてくれます。

「論語」と「算盤」は、まったく別次元の要素で、ビジネスで同時に進めるのは難しいように思えます。しかし、「矛盾しているからつなげるのはムリ」と諦めるのが「か」の力だとしたら、「どちらも同じゴールを目指しているので一緒に進めよう」と合致させて考えることができるのが「と」の力です。

政治も経済も、「イエスかノーか」の二項対立ではありません。どちらも正しい答えがないことを前提に、「自分ごと」として関わる姿勢や勇気を持つことが大事だと思っています。

未来に向けて持続可能な社会を築いていくためには、もちろん「算盤勘定」ができなければいけません。しかし「算盤勘定」だけでは、どこかでつまずいてしまうでしょう。

また、論語の教えだけを忠実に守り、お金儲けに興味はないという考え方では、猛スピードで変化する社会についていけないでしょう。これも「持続可能」とは言えません。論語と算盤は、未来に向かって進む車の車輪であり、どちらか片方ではサステナブルとはいえないのです。

私はビジネスにおいて「問いを続ける」ことを心がけていますが、「か」の力に留まることなく、「イエスとノー」どちらも合わせることができる「と」の力がこれからの未来には非常に重要だと考えています。

「と」の力でイノベーションを起こす

「と」は「and」、「か」は「or」のことです。『論語と算盤』の教えを簡略化すると、「"と"の力を持ちましょう」ということになると思います。

「か」は、1か0、右か左というように、取捨選択をするのに適しています。たとえば政治でも「共和党か、民主党か」という議論が起こりやすいのは、「か」の力は効率を高め、物事を分析するうえで重要だからです。

しかし、異分子やムダ、矛盾を切り捨てる「か」の力では、新しいクリエーションやイノベーションは生まれません。既に存在している状態を比べて進めるのが「か」の力からです。「か」の力を駆使して、「健康か経済か」と新型コロナウイルスの感染症対策を行ってもパンデミックを収束させられなかったことからも明らかです。

つまり、「か」の力で分断するだけでは、持続可能な社会実現はできないのです。新しいクリエーションやイノベーションを起こすためには、一見相容れない異分子を合わせて、合わせようとする「と」の力が必要なのです。

高度成長時代には効率を高めれば価値が上がりました。たとえば工場のラインでは、すべての工程が決まっていて、手順に従って効率よく作業することがよいとされていました。

また、日本では長く、年功序列、終身雇用が当たり前だと思われてきました。毎日会社に行くことが仕事だと思っていた人も相当数いたのではないかと思います。しかし、コロナ禍で働き方もがらりと変わり、「会社に行くこと=仕事ではない」と気づいた人も多かったのではないでしょうか。

競争を避けて持続的経済発展は実現できない

『論語と算盤』をいまの言葉に翻訳したものが、「サステナビリティとインクルージョン」だと私は考えます。

論語はどちらかというと「過去はいい時代でしたよね」という「過去志向」です。ですから、論語だけで未来を想像することは難しく、これでは「サステナブル」とはいえません。論語「と」算盤の両方を合わせることによって、車の両輪がそろい、まっすぐ進むことができるのです。

「インクルージョン」は日本語では「包摂性」と訳しますが、渋沢が目指した「インクルージョン」は「結果平等」ではありません。

『論語と算盤』第1章「争いの可否」のなかで渋沢は、「私一己の意見としては」と前置きしつつ、「争いは決して絶対に排除すべきものではなく、処世の上にも甚だ必要のものであろうかと信ずる」と示しています。

「争い」とは競争のことです。ある程度競争があったほうが健全だと渋沢は述べているのです。さらに渋沢は、「富の平等的分配は空想だ」といっています。

個人の才能や努力に関係なく、ひとくくりに同一恩恵を受けるのはおかしいと言っているのです。しかし一方で渋沢は、機会平等を主張しています。人や企業によって豊かさは違っても、幸せになるための機会は万人に与えられるべきだと語っています。

同じく第1章「処世と信条」の「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」のなかでは、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と説いています。これは、「永続」のためには「道理」が必要だということです。

渋沢栄一が『論語と算盤』をまとめたのは、明治末期から大正時代です。封建国家であった国が明治維新を経て30〜40年、当時の先進国に追いついていたという「自負」があった時代です。

確かに、地域格差はあったにせよ、1世代前に比べると国民の生活水準は著しく向上しました。しかし、江戸時代から明治維新を経て老人になった渋沢栄一からすると、物質的には豊かになったかもしれないけれど、精神的にはどうなんだといぶかしむ部分があったようです。「このままではこの先、悔やむことが起こる」と忠告していたわけです。

「と」の結集こそ、SDGs達成に必要な力

渋沢栄一が亡くなったのは1931(昭和6)年11月11日ですが、その2ヵ月前に満州事変が起きています。日本は急速に先進国に追いついた分、驕りもあったのだと思います。こうして昭和初期、渋沢栄一が懸念していた「悔やむ時代」に日本は入ってしまったのです。

今の日本を渋沢が見たら、どう思うでしょうか。残念ながらインクルージョンとはいえないと言うのではないかと私は思います。「一億総中流」を目指していたはずの日本で、子どもが貧困でお腹を空かせたり、虐待にあったりというニュースが後を絶ちません。コロナの影響で店を閉めるという小規模の飲食店も多く、こんな状況に陥っている日本は、経済的にも道徳的にも渋沢が目指したものではなかったはずです。

誰ひとり取り残さない社会実現のためには、サステナビリティ(持続可能性)とインクルージョン(包摂性)が何よりも必要です。100年以上前から、渋沢栄一はSDGsの原点となるようなことを唱え続けてきましたが、なかなか実現できないのはこれがとても困難な課題だからです。

しかし、SDGsは「できるかできないか」という「か」の問題ではありません。2030年のゴールを目指して、一人ひとりが知見や経験を自由に組み合わせ、時間や空間を超えて試行錯誤を繰り返していく。その「と」の結集こそ、SDGs達成に必要な力なのです。

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