2024年11月21日
FC今治の新しいホームスタジアム「アシックス里山スタジアム」が完成してから2年が経とうとしています。目指したのは、「365日人が集まる」環境づくり。「サッカーのスタジアムといえば」と想像されるイメージを大きく塗り替え、スタンド裏の土手には畑があり、カフェや、福祉施設、ドッグランなど、サッカーの試合がない日にも地域の人々が集うことができる仕掛けが凝らされています。
今治. 夢スポーツ/FC今治の代表取締役社長の矢野将文さんは、これから「成長するスタジアム」だと語ります。スタジアム運営を通じて、FC今治が目指す未来とは?
スポーツというアセットを通じて生み出される新しいビジネスや、持続可能な社会のヒントを、矢野将文さんに伺います。
お聞きしたのは... 矢野将文さん 株式会社今治. 夢スポーツ 代表取締役社長
愛媛県出身。愛媛の中学・高校でサッカー部に所属し、東京大学に進学してからはサッカー部の主将も経験。2000年、東京大学工学系研究科修了後にゴールドマン・サックス証券入社。2009年のリーマンショックが転機となり、地元に戻り愛媛大学農学研究科で林業を専攻。岡田武史現会長と出会い、2014年に株式会社今治.夢スポーツに参画。経営企画室長を経て、2017年4月に代表取締役社長に就任。
──スタジアムを見学させていただいたのですが、バックスタンドの向こう側には今治の街や山、海を望むことができて、地域と一体となっているかのような構造に驚きました。
矢野 通常、サッカーのスタジアムは外から見るとコンクリートの壁で、中に何があるのかは見えないようになっていますよね。このスタジアムは、サッカー観戦が無い日でも見学が可能になっていて、興味本位で立ち寄っていただいた方も、客席の一番前まで入っていただけるようにしてあります。
グラウンドにも柵がありません。ここから先は入っちゃダメですよ、とただ書いてあるだけなんですが、観客の皆さんにはきちんとモラルを持って行動していただいているので、入る方はいません。日本一モラルの高いスタジアムを目指したい、とよく社内では話しています。
客席からグラウンドまで柵がない開放感のあるスタジアム
しかし、元はといえば柵をつける予算がなかっただけなんです(笑)。他にも、予算削減するために工夫を凝らして考えたことが、結果的に居心地の良い空間づくりにつながった、という箇所がいくつかあります。
たとえば、4階のアナウンスや実況中継用の部屋はコンテナになっていて、床面積に入っていないからコスト削減になるんです。今治は造船の街ということもあり、コンテナが好きな人が多い。特に船に関わるお仕事をされているファンの方はコンテナを見て嬉しそうにされています。
それから照明です。普通、スタジアムの照明は四隅にありますよね。でも、うちはバックスタンド側の真ん中に6本並んで立っています。これも、LEDの数を減らすための苦肉の策です。でも結局、何も問題はないですし、むしろ圧迫感がなくていい、という声も聞きます。
──予算という制約があったからこそ、常識にとらわれずクリエイティビティが発揮されたのかもしれないですね。
矢野 1000億かけて、まるでテーマパークのようにあらゆる趣向を凝らしてお客さんを楽しませてくれるスタジアムもあります。最初から完璧に出来上がっていて、何もかもある。でも、このスタジアムは潤沢な資金があるわけではありませんから、言うなればこれから「成長するスタジアム」だと思っています。
──確かに、スタジアム裏の土手には畑があり、地域の方が植樹をされている場所もあったので、さらに時間が経てば全く異なる景色を見ることができそうです。スタジアムの名前にあるように、岡田武史会長の「里山」というアイディアがとても大事にされていると思いますが、矢野さんは「里山」をどのように解釈しましたか?
矢野 僕自身は全く違和感がありませんでした。ゴールドマンサックスを辞めてから長らく農業や林業の分野に関わっていて、林業で起業するための事業計画を書いていたくらいです。そういう意味では、この会社の中で私が一番山に詳しいと思いますよ。
大学は工学部なのですが、当時から環境負荷の観点からライフサイクルアセスメント(※)で論文を書き、環境問題には強く関心を持ってきました。岡田がよく「俺は環境問題に40年取り組んできた」と言うのですが、僕も環境問題は30年やってきた、と言えます(笑)。
藻谷浩介さんが書かれた『里山資本主義』にも影響を受けましたし、里山とは「自然」ではあるものの、人の手がちゃんと加わった賑わいのある場所なのだと以前から考えていました。例えば、このスタジアムでは、水が流れるところを覆わず、暗渠(あんきょ)ではなく開渠(かいきょ)にしたんですね。そうすることで生物との出会う機会が増えるのでは、という思いがありました。まさに里山としての発想です。
──365日人が集まり、交流や賑わいが生まれるスタジアムを、という目標もありますね。
いろんなイベントを仕掛けていて、この前はピッチの上でお茶会をやりました。すると、思いもよらない層から「お茶会見ましたよ」とお声をかけていただくことにもつながっています。社会福祉法人来島会の複合福祉施設の利用者の方、カフェ「里山サロン」の利用者の方もいます。しかし、「日常的に常に賑わいがある状態」にするためには、これからまだまだ工夫が必要だと思っているところです。
(※)ライフサイクルアセスメント(LCA)......製品やサービスが環境に与える影響を明らかにするため、材料の採取から製造、使用、廃棄までの全ての段階で評価する方法。
──スタジアムを運営するにあたって、地域の方々の参画は欠かせないと思います。ファンや地域住民の皆さんの反応はいかがですか?
矢野 今治に住んでらっしゃる人が、「友人が遊びに来た時にまずはここに連れて来て、中を案内しながらカフェでゆっくりして帰るのが定番のコース」とおっしゃっていたのを聞いて、とても嬉しく感じました。ご年配の方が、スタジアムに来るのが「生きがい」だと言ってくださったこともあります。杖をついて試合を見に来てくださるんですよ。
元々、今治は今治西高校というとても野球が強い学校があって、「野球の街」だったんです。当初は「野球の街に何しに来たん?」と言われましたからね。それが、あっという間にサッカーの街にもなった、という感覚があります。みんなが日常的に、あちこちでクラブのことを話題にしてくれているんです。
ここまで来るために、「孫の手活動」といって、地域で「困ったら連絡ください」とフリーペーパーで周知し、草刈りや木の剪定など「サッカー以外のこと」を地道にやって住民の方と接点を作って来ました。
サッカーのおかげで、共通の話題が生まれ、粘着性の高いコミュニティが生まれます。しかし、チームが勝ち続けて勢いがあるうちはまだしも、負けが続くと自然と発信量が減ってしまいますし、必死に戦っている選手だけに頼るわけにはいかないので、サッカー以外にも話題作りが欠かせません。
そもそも、我々の企業理念──「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさ を大切にする社会創りに貢献する」──には、「サッカー」や「スポーツ」という言葉は入っていません。岡田は、資本主義や民主主義の限界が見えるようになった昨今こそ、物質的な豊かさではなく心の豊かさが育まれ、人々が協力し合える「共助のコミュニティ」を目指すと語っています。
我々の真ん中には本業のサッカーがあるけれど、サッカーと相性がいいこと、企業理念に則したことをどんどんやっていくことが大事だと思っています。
──サッカーやスポーツにはコアなファンがついているので、そのアセットを使ったマーケティングに関心がある企業さんは多いのではないでしょうか。
矢野 サッカーがもたらしてくれるワクワクドキドキする気持ち、非日常、そういったものをうまく使っていきたい、という企業さんのニーズは感じています。今、約370の企業様に応援していただいていますが、これからも、この「成長するスタジアム」を拠点に、さまざまな協業者と実験的に事業を打ち出していく予定です。
僕らは10年で2つのスタジアムを建てたわけなので、あと10年でさらに10個くらいの事業をしていても不思議ではないですし、どんどん変容して行くと思っています。1年目からやっている「しまなみアースランド」での環境教育や「しまなみ野外学校」での野外教育といった教育事業はその先駆けのようなものですが、今後は「健康」の領域にも着手しようと検討しています。
──矢野社長はFC今治の成長に寄せ、今、どんなビジョンをお持ちでいらっしゃいますか?
矢野 やはり、時代は目まぐるしく移り変わっていきますし、その都度人々の関心ごとも変わっていきます。そんな中でも、弊社と組むことで、このFC今治を「楽しみ尽くす」人たちが増えて行くような状況を作っていきたいですね。
僕らが良いと思ったことを本気でやり続け、新しいことにチャレンジし続けていけば、そこから刺激を受けて、自分たちになりの新しいことをやろう、と思う人たちが増えて行くと思うんです。それはまさに、岡田が目指す「共助のコミュニティ」の拡大にもつながっていくことだと思っています。
撮影/大坪尚人 編集・コーディネート/丸田健介(講談社SDGs)
C-stationグループで、BtoB向けSDGs情報サイト「講談社SDGs」担当。