2024年11月15日
「女性が当たり前のように総合職で働く時代が来るとは、あの頃は想像がつかなかった」
と、自身が旭硝子に入社した1997年を振り返る藤原かおりさん。カルビーの「フルグラ」大ヒットの立役者で、キユーピーの女性初・最年少の上席執行役員に就任し、現在はアヲハタで女性初の取締役を務める食品マーケティングの第一人者です。
着実にキャリアアップと出世を重ねてきた藤原さんの原動力とは? そして今、見据える新たな目標とは?
本連載「Across the Border ~見えざる壁を越えて~」では、現代社会に存在する「見えざる壁」を越えるため、各領域でさまざまなチャレンジを続ける人々を取材しています。
インタビュアーは、講談社入社5年目の張蕾。彼女自身もまた、日々の生活の中で様々な壁を感じ、それを乗り越えようとしている一人です。各領域で活躍している先輩に話を聞くことで、壁を乗り越えるための「ヒント」を読者のみなさまと一緒に得たい、という思いでこの企画に携わります。
藤原かおり(写真右)/アヲハタ株式会社 取締役 研究開発本部担当 マーケティング本部担当
埼玉県出身。旭硝子、マッキャンエリクソン、電通、ダノンウォーターズオブジャパンを経て、2011年カルビーへ。「フルグラ」の成功を牽引し、2017年カルビー執行役員に就任。2020年3月よりキユーピーへ転職し女性初・最年少の上席執行役員に。2024年2月より現職。
張蕾(写真左)/講談社メディアプラットフォーム部
中国・西安出身。日本の大学・大学院を経て、2020年コロナ禍に講談社に新卒入社。広告部署に配属となり、以降、運用型広告を初めとするデジタル広告を中心に担務。
張蕾(以下・張):藤原さんはいろんな企業をご経験されていますよね。私は今入社5年目で、自分のキャリアについて悩みまくっているのですが......藤原さんが5年目の頃は、どんなキャリア設計をされていたんですか?
藤原かおりさん(以下・藤原):私の5年目というと、ちょうど、2社目のマッキャンエリクソンに転職したくらいの時期ですね。20代の後半から30代にかけて、本当に悩みますよね。ライフプランもあるし。
張:そうなんですよ!
藤原:何歳で結婚して、何歳で子ども産んで、仕事はどうしよう、って、いっぱい考えると思います。私は、マッキャンで出会った人事部(当時)の木村すみこさんには大変お世話になりました。そこでコーチングをしていただいたのですが、「仕事だけではなく、どういうところに住んで、どういう人と暮らして、どういう仲間がいて、職場はどういう風景か、と人生全体について具体的にイメージしてみなさい」と言われました。それはものすごくやりましたね。
新卒で一社目の旭硝子にいた頃から、マーケティングをずっとやりたい、という思いはずっとありました。広告業界で働いた時期もありましたが、ダノンで「これだ」と直感しました。
事業会社は、自社の商品と心中しなきゃいけないでしょ。広告業界での仕事も好きでしたが、より大好きなものに全力投球する方が、自分に向いていたんですね。それ以来、食品のマーケティングをやっていこうと、キャリアが定まったことを覚えています。
張:会社は変わっても、マーケティングがやりたい、という思いは、ずっとぶれなかったんですね。
藤原:ぶれなかったですね。旭硝子で鍛えていただいてから、ずっとマーケティングを愛しています。ビジネスの場で何か課題があった時に、マーケティングはそれを解決するソリューションになりますよね。そして、多くの人が喜んでくれる。
何か良い商品があったとしたら、それは「すごくタレントのある子」で、その子をどういうふうにちゃんとデビューさせてあげるか、と考えています。
張:アイドル育成ゲームみたいですね!
藤原:そうそう、推し活だ(笑)。だから、やっぱり、仕事を選ぶときに、その商品を愛せるかということは大事でした。自分が使わない商品のマーケティングは、私にはできなかったんですね。
張:藤原さんが社会人になった頃は、まだ女性の中で「ずっと働く」前提でキャリアを設計した人は珍しかったのではないでしょうか。振り返ってみて、当時はどんな時代だったんですか?
藤原:私が入社したのは1997年ですから、2024年の日本とはやっぱり全然違いましたよね。女性が当たり前のように総合職で働く時代が来るとは、あの頃は想像がつかなかった。
女性の海外転勤なんて、なかったですよ。「預かっている大事なお嬢さんなんだから、海外なんて行かせるわけにはいかない」みたいな。
張:そんな意味不明な気遣いが......
藤原:マッキャンに行ってびっくりしたのは、前述の木村さんをはじめ、キラキラした素晴らしい女性たちにたくさん出会ったこと。みなさん、本当に活躍されていました。外資じゃないと、ああいう女性はうろうろしてないですね。日本の企業では、当時はどうしても女性は「3歩下がる」という文化に染まってしまいがち。
一般的に食品業界は比較的女性が多いのですが、管理職になるにつれてどんどん男性の割合が多くなっていくのは課題です。カルビーには執行役員の女性の先輩が何人もいたのですが、キユーピーでは女性は私が初めて。やはり、最初は私の存在自体に違和感があったことと思います。
もちろん女性一人でも頑張るんですけど、一人より二人、三人、四人と多いほうが心理的にも楽ですし、多様な属性を持った人間が集まっているほうが組織の意思決定にとっても良いはずです。
カルビーの松本晃会長兼CEO(当時)は、工場長も支店長も「唯一の女性」という状況を作らないよう、こだわっていらっしゃいました。
張:私のように、ライフプランとの折り合いなども含めて、色々とキャリアに悩んでいる人は多いと思います。藤原さんは社員にどんなアドバイスをされていますか?
藤原:社員の様子をよく見て、声をかけることを大事にしています。私が本部長をしているマーケティング本部に、小さいお子さんがいる女性社員がいるのですが、子どもが頻繁に熱を出して迎えに行かなければならないような状況が続くと、やっぱり弱気になってくるんですよ。
だから、「仕事は周りがなんとかするし、大変な時期は今だけだから、ここは乗り越えようよ」と声をかけました。「もう私無理かも、って思ってたでしょ」と言ったら「思ってました......」って(笑)。
そういう社員を何人も見てきてるんです。小さいお子さんがいる社員は、やっぱり上司が注意して見ていないと、キャリアを諦めてしまうという勿体無いことが起きてしまいます。これは女性社員だけでなく、男性社員に対しても同じです。
張:今は男性も育児を主体的に分担していますもんね。
藤原:アヲハタは、男性育休の取得率が高いんです。実際に取得する人が増えてくると、先輩の後に続く人が出てくるし、それが文化を作っていくんですよね。制度があることよりも、そういう文化づくりが本当に大事ですね。
最近は、男性でも転勤が大前提のような旧態依然とした働き方に抵抗感を覚える人が増えています。そういう変化にも、企業としては対応していかないといけません。
張:出世したい、という思いはずっとお持ちだったんですか?
藤原:そう、私、上昇志向なんですよ(笑)。やっぱり、何か頑張っていることがあるんだったら、一歩ずつ上に上がっていきたい。ダノンで働いていた頃から思うようになりました。
出世したら、もっと自分でいろんなことが決められる。少しでも立場が上になれば、それだけ決められる範囲は広がるし、仕事をする面白さもどんどん広がっていきます。
張:最近だと、管理職は責任ばかり増えて割に合わないから、と出世のモチベーションが上がらない社員も増えていると聞きます。
藤原:職種による違いもありそうですよね。私はカルビーで組織マネジメントをやらせてもらった時に、面白いと感じました。会社が良くなっていくプロセスに自分が主体的に関わっていけることが、楽しかったのかもしれません。
私、中学・高校時代の部活がテニス部だったので、みんなで一緒に何かを目指して「頑張ったね!」と労いあう、そういうチームプレイが好きなんだと思います。
それに、スケールさせるのも大好き。カルビーで「フルグラ」が大成功した時、やっぱり、工場の人たちがすごく元気になったんですよ。今までシリアル部門は会社のお荷物だと言われていたのが、シリアルのおかげで株価まで上がった。シンプルなことですが、「自分たちはこれを作ったんだぜ!」という成功体験を得ると、仕事は楽しくなりますよね。
藤原さんの所属するアヲハタのロングセラー商品、「アヲハタ 55」・「アヲハタ まるごと果実」
張:今は、アヲハタの研究開発本部がある広島と、マーケティング本部のある東京を行き来する生活を送られているんですよね。一ヶ月のうち、どんな配分で過ごされているんですか?
藤原:東京が1週間、残りは全部広島です。私は埼玉出身で、ずっと東京で働く人生を送ってきたので、アヲハタへと内示を受けた時は、正直「広島!?」とハードルを感じました。でも、今思い返すと、なんでそんなに東京にこだわってたんだろう、という感じ。
食というテーマ一つとってみても、東京では当たり前にデパ地下やケーキ屋さんがたくさんあって、新しい店が頻繁にできて、トレンドが次々に入れ替わっていきますよね。
地方は、東京と比べると、最新のものにアクセスできないビハインドがあるかもしれないけれど、その代わり、季節が変わればいろんな柑橘類が何種類もお店に並んで、東京とは違う「情報」が入ってくるんです。
もの作りへの考え方も変わってきました。私は、アヲハタの東京と広島の部門を行き来しているので、それぞれの感性をきちんと融合して、アヲハタにしか作れないものが見せられないか、と思っています。
広島にあるアヲハタ本社。※写真はアヲハタHPより
張:東京への一極集中がいろんな点で問題になっているので、地域の企業が注目されると、すごく希望を感じます。
藤原:地方創生、と聞くと他人事だった時期が長いのですが、こうして広島に住んでみると、その土地の企業が地元に貢献するということは本当に大きな使命なのだな、と感じます。
アヲハタは今、「ジャムのアヲハタからフルーツのアヲハタへ」を掲げています。やはり、フルーツの摂取量をもっと増やしていきたいんです。体にいいものだし、食べる人がいなければ作る人もいなくなって、「地球上に昔フルーツというものがあったらしい」という状況にもなりかねない。
アヲハタは長らく竹原市と一緒にいろんな取り組みをしてきているので、それをもっと活発に発信したいですし、瀬戸内海という観光地を活用して、ここでしか買えない、地産地消の商品も生み出していきたいです。
藤原さんが今力の入れる「くちどけフローズン」という商品。凍ったままで柔らかさを実現する「やわらかフローズン製法」が特徴。
張:いろんなご経験をされてきた藤原さんにとっての「Across the Border」とはなんでしょうか?
藤原:インタビューの前には「"覚悟" かな......」と思ってたんですけど、今日の話を総括すると、どうなんでしょう(笑)。
軽やかに生きていきたい、と思うんですよね。木村さんにコーチングを受けた時に、「もっと軽やかに生きられる方法があるよ」って言われたんですよ。最初は意味がわからなかったけど、だんだんわかるようになってきました。
人間って多分、自分の思い込みで重荷を背負ってしまうんですよ。自分を縛り付けるものがあると感じていたけど、意外とそれは自分ではめていた手枷や足枷だったりする。
無意識に自分を押さえつけているものをどんどん剥がして、捨てていかないと、ですよね。
キユーピーに来た時に、新しいことを立ち上げなければならない立場だったから、今思い返すと、とても背負い込んでいました。数字にもコミットしなければならないから、「守り」に入ってしまっていた。でも、それを重荷に感じる必要はなかったんですね。もっと楽しく、自由に、軽やかにできる方法があったかもしれない。ちょっと反省しています。
張:頭ではわかっていても、なかなか実行できないかも......何か、アドバイスはありますか?
藤原:私はね、よく幽体離脱をします(笑)。「何やってんの?」「変なモードに陥ってるよ」「おいおいしっかりしろよ」って、離脱した自分で自分に声をかける。それで軌道修正をするようにして、環境がまずいと思ったら転職を考えるのもありです。私はこれまで、職場が嫌になって辞めたことはないんですけどね。でも、「もう次のステージに行く時期なんじゃない?」と感じる力は大事だと思いますよ。
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インタビューを終えて―
張:藤原さんにインタビューする前にご経歴を調べていた際、数多くの肩書きと成功事例に圧倒されていました。いくつもの異なる業界への転職経験を持ち、いくつもの成功実績があり、今、また新たな商品開発を担当されているということで、お会いする前までは若干恐れ多い気持ちでいました。ただ、実際藤原さんとお話をしてみたら、その印象はご自身のおっしゃったような「軽やか」さそのものだと感じました。初対面なのですが、お話しをしていくうちに以前から仲良くさせていただいた先輩のようにさえ思えてきたくらいです。
「举重若軽」という中国のことわざがあります。これは、「重いものを軽々と持ち上げること」のように、「大事をいとも簡単にやりとげる」という意味です。どのような挑戦に直面しても、まずは自分の心に余裕を持たせて、フットワークを軽くして挑んでみよう、というボーダーを超える上で持つべき心構えのようなものを藤原さんからいただいた気がします。
撮影/西田香織 編集・コーディネート/張蕾・丸田健介(講談社C-station)