2024年12月06日
グローバル化が進んでも、異なる文化間に存在する「壁」が全くなくなるわけではありません。しかし、勇気を出して他者と接することを繰り返していく中で、新たに見える景色があるはずです。
中国で生まれ育ち、漫画家として成功するという夢を抱いて来日する主人公・夢言(ムゲン)の成長を描く漫画『日本の月はまるく見える』は、読む人に多くの発見を与えてくれます。作者は、史セツキさん。自身も中国の出身です。
史さんのバックグラウンドを伺いながら、異文化を行き来する視点や、多様性を認め合う社会へのヒントを学ぶべく、同じく中国出身の講談社メディアプラットフォーム部の張蕾がお話を伺いました。
張の故郷は西安省で、史さんはそのお隣の四川省なのだとか。共通点から会話が広がります。
史セツキ(写真左)/漫画家
中国・四川出身。『噓をつく人』で第80回ちばてつや賞一般部門奨励賞受賞、『往復距離』 でモーニング月例賞2021年12月期佳作受賞を経て、「モーニング」2023年22・23合併号掲載の読み切り『日本の月はまるく見える』を第1話とした連載を、「モーニング・ツー」にて開始。
張蕾(写真右)/講談社メディアプラットフォーム部
中国・西安出身。日本の大学・大学院を経て、2020年コロナ禍に講談社に新卒入社。広告部署に配属となり、以降、運用型広告を初めとするデジタル広告を中心に担務。
張蕾(以下・張):最近、「RED(小紅書)」(※)で創作漫画を投稿するクリエイターたちの存在が気になってるんです。昔よりも増えているなと思っていて、中国の漫画文化の盛り上がりを感じていたところでした。
史セツキさん(以下・史):私もそれは感じます。作品を発表できるオンラインの媒体が増えましたよね。私が子どもの時は『漫友』という漫画雑誌を読んでたんですけど、日本のように投稿を呼びかけたり、賞があったりするような感じではありませんでした。漫画家になりたいという気持ちはあったのですが、ハードルが高い、遠い夢だと諦めていました。自分が漫画家になれるなんて思ったことはなかったんです。
張:そうだったんですね。確かに、中国では、漫画家にどうなればいいのか、という「入り口」がよくわからないですよね。『漫友』は私も読んでました。
史:『日本の月はまるく見える』1巻の裏側に、実は『漫友』の背表紙を書いたんです。
張:本当ですね、中国の雑誌がたくさん並んでいます! 漫画家は諦めていたとのことですが、改めて志すようになったきっかけは?
『日本の月はまるく見える』1巻の裏側には、史さんの実際の本棚が描かれていた。『漫友』も並んでいるそう。
史:大学院から日本にやってきて、その時はグラフィックデザインを専攻していました。でも、就職活動の段階で、やっぱり自分は絵が描く仕事がしたいなと思うようになり、卒業してからしばらくはイラストレーターを目指していたのですが、今度はストーリーが描きたくなって、実際描いてみたらイラストよりも何倍も楽しいと思って。
「DAYS NEO」で投稿した漫画が講談社の編集の方の目に止まり、そこから2年くらいかけてやっと賞(※)を取ることができました。
※講談社の運営している漫画家さんと編集をマッチングすることが目的の漫画投稿サイト・DAYS NEO
いろんな現実と向き合いながら、やっと自分の本当の「好き」に辿り着いたような感じでしょうか。
(※)中国では、グローバル規模で利用されているSNSが制限されている一方で、自国独自のソーシャルプラットフォームが発達する。REDは中国版インスタグラムとも称される。
(※)ここでの「賞」は、第80回ちばてつや賞一般部門奨励賞を指す。
張:日本に来たことで、漫画を描くモチベーションが高まった、というのもあるのでしょうか。
史:そうですね、確かに、日本で漫画への愛を再発見したという感じなんです。例えば、友達がコミケに出た時のことを話してくれて、うらやましいな、自分も出てみたいな、と思ったんです。実際、参加もしました。その時は同人作品だったのですが、会場でいろんな人と喋ることができて楽しかった。いつかオリジナルの作品を描いてみたいな、と思うようになりました。自分が漫画を描くということに可能性を感じたんです。
日本には、漫画を気軽に楽しむ雰囲気がありますよね。本屋さんに行っても、街を歩いていても、アニメや漫画のポスターがたくさん目に入ってきます。こんなに漫画が好きな人がいるんだ! という発見で、自分も「描きたい」という気持ちが強くなったのかもしれません。
張:それにしても、日本語という外国語を使って作品を作られているのは、本当に尊敬します。
史:私は今でも勉強中だと思っているのですが、講談社の編集者さんは出会った当初から「日本語が拙くてもそれは漫画を描く邪魔にはならないよ」「漫画には国籍がない」と言ってくださったんです。その励ましですごく勇気が出て、頑張ろう、と思えましたね。
中国のバックグラウンドを生かした今連載中の『日本の月がまるく見える』
張:私は勝手に、創作する上で文化の違いや言葉の違いが「壁」になっていて、それを史先生は乗り越えられてきたのでは......と想像していました。
史:いわゆる「壁」のようなものを、最初は無視してしました。それを気にしすぎると、日本で漫画を描くなんてできないだろう、と思っていて。そして、どうやって競争率の高い日本の漫画業界で生き残っていくか、と考えると、自分が中国人であることを武器にするしかないんだろうな、と。
言語の問題に関しては、目一杯勉強するとか、日本人の友達を作るとか、色々できることがあると思うんですけど、私が頑張るべきところって「そこじゃないのかも」と。
張:確かに、言葉ってただの「道具」ですもんね。おっしゃること、とてもよくわかります。
私自身にとっての「壁」は、言葉よりも、いわゆる日本の「空気を読む」という価値観なんです。この前、同僚と一緒にご飯を食べていたのですが、「あの時〇〇さんめちゃくちゃ怒ってたよね〜」みたいな話になって、驚きました。私はその怒りを全く察知できていなかったんです。
多分、みなさんは、声の大きさや、話すテンションから敏感に察知しているんだと思います。それが空気を読むということですよね。そのへんの感受性が抜け落ちちゃってるのかもしれません。私は今入社5年目なのですが、いまだに社内では「空気が読めないやつ」と思われてます(笑)
そういえば、『日本の月はまるく見える』に、主人公の夢言が日本人からの反応を気にして、「私...絶対へんな中国人だと思われちゃった」と言うシーンがありますよね。あそこは、読んでいてちょっと切なくなってしまいました。もしかして、これは作者も同じような体験をしたことがあるのかな、と考えてしまって。
史:張さんがおっしゃる「空気が読めない」時の状況、私も経験があるんです。そういう時、私は張さんよりも重く状況を受け止めてしまいがち、ということですね......(笑)
だから、会社で働いたりするよりはこういう仕事の方が向いているんだろうと思います。
張:2巻のカバーのところに書かれていた言葉も印象的でした。「日中の文化の違いから生まれる誤解で困る時もありますが、『日本の〜』を描くようになって、その誤解から面白さを発見できるようになり、私にとってはすごく喜ばしいことです」とありましたね。
史:2巻に、夢言が編集の山田さんに中国のお土産を持っていくシーンがあるのですが、昔、私もお土産選びで似たような状況になったことがありました。その時はたくさん悩んだし、後々になっても長いこと心配していたんですが、こうして物語にしたら面白い話になったな、と。楽しい、前向きな気持ちになれました。困っていたことを、漫画にして乗り越えた、という感じでしょうか。
『日本の月がまるく見える』第2巻の中、お土産についてのワンシーン ©史セツキ/講談社
張:描くことで、自分自身が救われているところもある、という。
史:そう思います。昔は無かった視点ですね。
今、日本には中国人の観光客が増えていますし、同じ職場で働く機会なども以前より増えていると思いますが、中国に関する情報は、どうしてもニュースで見聞きするような限定的なものにとどまりがちです。私がこの漫画を通じて「誤解」から面白さを発見できたように、読者の皆さんにも同じポジティブな経験をしていただけると嬉しいです。
街中で中国人を見かけて、その行動に違和感を覚えた時、「だから中国人は」じゃなくて、こういう人もいるのか、と興味深さを覚えられるほうが絶対に楽しいと思うんですよね。私は会社で働いたことはないですが、そういうポジティブな感受性の人がいた方が、社内の環境も良くなっていくような気がします。
張:まさにダイバーシティの視点ですね。他の人と違っていいんだ、と受け入れていくことが大事なのだと、改めて実感しました。
最後に、この連載ではいつもみなさんに、「あなたにとってのAcross the Borderとは?」という質問を投げかけています。先ほどは、言語や文化の違いなどのいわゆる「壁」を無視するようにしていた、という言葉もありましたね。
史:「Across the Border」と聞いて最初に思いついたのは「勇気」という言葉でした。でも、勇気って自分に一番欠けているものなので(笑)、過去の自分のことも振り返ってもうちょっと噛み砕いて考えてみたんですが......
自分にとってワクワクすることって一体なんだろう、と考えて、その上でいろいろと試して、いろんな人に出会ってみると、「壁を乗り越えよう」と意識しすぎることなく、自然と超えているものなのかな、と思います。
私は、漫画が好きで描いていなかったら、講談社の編集者さんとも出会えてないですし、漫画家デビューを目標にすることもできませんでした。だから、一番最初のワクワクする気持ち、書きたいという気持ちが、一番大事だったのだな、と思います。「DAYS NEO」に漫画を投稿していたときも、ただ自分の好きなものを描いていた、という感じだったので。
日本で漫画家になる、という夢は叶えたので、これからも日本で描きつづけていけるように頑張りたいですね。
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インタビューを終えて―
張:漫画家の先生と直接お話しするのは張にとって初めてでしたが、史先生も中国出身で、年齢が近いということもあり、お互い小さい時に読んでいた漫画や、日本の二次元文化から受けた影響など、共通点が多く盛り上がりました。
ただ、同じく影響を受けたとはいえ、中国から日本に行って実際に漫画を描こう、と行動に移すことは、想像できないくらい困難なことな気がします。その中で、史先生は世界で一番と言ってもいいくらい競争の激しい日本の漫画で作品を書いています。自分が怖くて選べもしなかった道で、近しい経歴の持つ史先生が突っ走る姿が眩しくて仕方がなかったです。
「いわゆる「壁」のようなものを、最初は無視してしました。それを気にしすぎると、日本で漫画を描くなんてできないだろう」という先生のこの一言は、自分に語りかけているかのように思いました。逆に自分は自分の中で勝手に壁を作っていたのかもしれません。実現する難しさを考えるより、まず自分の好きでしたいことを勇気出して一歩踏み出してみよう、と決めました。
撮影/西田香織 編集・コーディネート/張蕾・丸田健介(講談社C-station)