2025年02月18日
外務省に在職中、ガーナでNGOを立ち上げ、三井物産ヨハネスブルク支店で勤務し、日本とアフリカを繋ぐ事業を推し進めるため起業──と、輝かしい経歴をお持ちの原ゆかりさん。今、日本全国の学校で子どもたちに向け授業や講演活動もしていますが、「みんな、キラキラ話には興味がないですよ」と笑います。これまでの実体験から紡がれる等身大の言葉の数々から、SDGsについて考えるヒントを探ります。
「FRaU関編集長のSDGs Talk」vol.5は前後編でお届け。前編では、原さんの現在の取り組みや、その中で大切にされている思い、地元・愛媛県今治市のことを中心にお話を伺いました。
関 原さんは、アフリカ関連のお仕事以外にも、今治で「今治.夢スポーツ」の社外取締役をされていたり、全国の子どもたちにご自身の経験を伝える授業をして回ったり、とにかく多方面にご活躍されている印象があります。
原 これが自分の中心、というものを特に置かないように意識してるんです。
株式会社SKYAHでは、日本とアフリカをつなぐお仕事がメイン。アフリカに関心がある日本企業の事業開発やマーケット調査、パートナー探しのお手伝いや、逆にアフリカから日本へ進出したいという事業者のお手伝いもさせていただいてます。
FC今治との繋がりは、実は、岡田武史さんの前オーナーが父の親友だったんです。なので、オーナーを交代された直後くらいのタイミングで、すでに岡田さんをご紹介いただいていました。岡田さんは多分、私のことを「アフリカに行くとか言ってる今治出身の変な女の子」みたいな認識だったと思うんですが(笑)、FC今治高校の構想が出た頃に思い出してくださったのか、ご連絡をいただきました。
私は、今治のために何かしたい! と強く思いつつ、100%今治に居住を移すのは難しかったので、模索した結果、「今治.夢スポーツ」には社外取締役として、FC今治高校にはコーチ(FC今治高校における先生の呼称)として携わることになりました。
原ゆかりさん / 愛媛県今治市出身。東京外国語大学を卒業後、2009年に外務省に入省。在職中の2012年にガーナ北部ボナイリ村を拠点にNGO MY DREAM. orgを設立。2015年、外務省退職後、NGOの活動と並行し、三井物産ヨハネスブルク支店での勤務、アフリカ企業での勤務を経験。2018年独立し、株式会社SKYAHを設立。
関 どこか特定の学校とのつながりを強化するほうが楽そうですが、原さんはいろんな学校に行かれているのがすごいですよね。
原 お声掛けいただいたところはなるべく行くようにしています。そもそも、学校で授業をするようになったのは、13年ほど前、まだ外務省で働いていて、アフリカでNGOを立ち上げた頃のことでした。
地元の今治に帰省したら、小学生時代にお世話になった先生が声をかけてくれて、「ゆかりちゃんちょっと珍しいことしよるけん、子どもたちに話してあげてや」と声をかけてくれたんです。それで、廃校直前の「今治小学校」という母校で授業をしたのが最初です。
10年続けていると、その時の子どもたちに中学、高校で再会することもあるんです。成長を実感しますし、何より責任を感じますよね。「外交官目指してます」と言ってくれる子には、「すごい! でもごめん、私辞めちゃった!」なんてことも(笑)
関 授業ではアフリカのお話をすることが多いんですか?
原 学校側の要望に応じてですが、多いのはキャリア教育です。自分の歩んできた道、失敗したこと、苦労したことなどをお伝えしながら、その中でアフリカでのビジネスについて触れることもあります。
あと最近多いのは、「課題解決」についての授業ですね。変化の多い現代社会で、問題発見から解決までどういうフレームワークを設計していくか。その能力を養ってもらいたい、という思いで取り組んでいます。
関 子どもたちの反応はどうですか? どんなポイントに興味を持ってくれるんでしょうか。
原 10年間やってきて、これは共通しているな、と思うのが、みんなキラキラ話には興味がない、ということ。「すごい!」と思われると一気に壁ができちゃうんですよね。テレビで見るような人と変わんないな、って。失敗や挫折などの等身大の話をすると、関心を持ってくれる子が多いような気がします。
関 なるほど。大人は要注意ですね。つい武勇伝を語りたがってしまうから(笑)
原 FC今治高校では、講師陣がそれこそ「キラキラ」して見えるそうそうたる方々なのですが、その裏側のリアルな話を中心に授業をしてくださっている印象があります。
関 私も今年度FC今治高校にお邪魔して授業をさせていただ。学校の他にも、街を巡ったり、地元の企業さんとお話をしたりする中で、今治は、意外にもものすごく世界と繋がっている面白い地域だと思ったんです。さすが造船業が盛んな街。
原 そうなんですよ。とても誇らしかったのは、三井物産のヨハネスブルク支店(南アフリカ)にいた時、港湾のオペレーションをされている企業さんと打ち合わせをした際、もしかしたら......という期待を胸に「今治出身なんです」と言ったら、お相手の目が輝きました。やっぱりご存じなんですよね。「今治造船を知ってるか?」と聞かれて「もちろん!」と胸を張りました。あれは誇らしかったです。
関 日本の造船、海運というのは、世界に誇れる産業の一つですよね。船の関連では、船のエアコンや冷蔵庫等の製造をされている潮冷熱さんも世界的に知られる企業ですね。船のエアコンの故障等があった場合、迅速に修理に行ける拠点を世界中に持っているのがすごい。
原 今治は世界に届く名前なんだ、とアフリカで実感しました。これは武勇伝になりますね(笑)。でも、自分の地元を誇れる話はけっこう子どもたちに刺さっている気がします。「今治かっこいい!」って。
関 原さんは世界中のいろんな地域をご覧になっていますが、それらを相対化していく中で、「地方創生」の文脈の中で今治の課題が見えてくることもあるんでしょうか。「地方創生」という言葉もいろんな問題を孕んでいますが......
原 そうですよね。地方創生の「創」という言葉にはやはり「ゼロから作る」という意味合いが包含されていて、都会目線なところがあると感じます。同じ問題がアフリカの開発の領域にもあるんです。先進国が、「自分たちが答えを持っているから教えてあげる」というメンタリティで、現地の人たちのニーズを丁寧にすくい上げることを怠ると、本質的な解決にはなりません。
たとえば、私がNGOの取り組みを始めたガーナのボナイリ村という村には、私が訪れた2012年当時、土壁と藁葺きの家が立ち並ぶ中、コンクリートとトタン屋根の立派な建物が一軒あって、ものすごく浮いていたんです。
村の人に聞いたら、「Libraryっていうらしい」という答え。その地域は、ガーナの中でも識字率や教育水準がとても低い地域でした。でも、外国のNGOが図書館を作り、本やテーブルや椅子や本などを寄贈して、開所式をやって帰って行ってしまった。図書館の中に入ってみると、開封すらされていない本、しかも村の人が読めない外国語の本が積み上がっていました。みんな、その施設を持て余してしまっていたんです。
悪意は無く、良かれと思って持ち込んだソリューションが結局何も解決していないというこの状況は、日本の地方でも起こっているのではないかと感じます。現地の人の問題意識やノウハウをまずは丁寧に理解して、向き合って、その文化の中心にいる人たちがドライバーシートに座り続けられるような形を作っていく姿勢が大事なんです。支援という行いには必ずパワーバランスがあるのだと、「パワーを持ってしまいがちな側」が自覚していく必要がある。
そいう姿勢をCultural Humility(文化的謙虚さ)と言うのですが、「課題解決」をテーマに授業をする時には必ずこの話をするようにしています。
関 開発や地方創生の領域では、なかなかその文脈で語られる機会がないですよね。どうしても、経済合理性や分かりやすい成果に目がいきがち、というか。丁寧に理解しよう、という意識で取り組むと、時間がかかってしまうからでしょうか?
原 「数ヶ月で結果を出せ」みたいなスピード重視の構造が、世の中にはどうしてもありますよね。それが、ポンと図書館を作っちゃった方が楽だ、というアウトプットに繋がってしまうのだと思います。
でも、本当に長い目でインパクトを生むのであれば、現地の人たちの「自分ごと」になるよう時間をかけるほうが良いはずですし、結果的に多くのことが見えてくると思います。
SKYAHが運営する「Proudly from Africa」でも紹介されているブランドが集まった三菱電機イベントスクエア「METoA Ginza」(「東急プラザ銀座」内)のショップ。
関 SDGsが国連で採択されたのは2015年ですが、それ以前からアフリカでお仕事をされていた原さんにとって、SDGsはどんなふうに映りましたか?
原 私は2009年に外務省に入省し、2011年まで国連政策課という部門にいて、SDGsの前進であるMDGs(ミレニアム開発目標)(※)の開発協力を担当している部署と連携して仕事をすることもあったので、その領域にはずっと関心を持ってきました。
MDGsは、有識者たちがトップダウンで「国」単位の目標設定をして推進してたんですよね。でも、「国」単位だと、要するに東京も今治もごっちゃになってしまって、全く違う状況を抱えているのにそれが見えなくなってしまうという問題点がありました。
だから、SDGsの「誰一人取り残されない」というスローガンを聞いた時、私は、MDGsが色々と取りこぼしてきたことへの反省が込められていると感じました。
(※)開発途上国の開発のため、2000年に国連で採択され、2015年までに達成すべき8個の目標が掲げられていた。SDGsの前身にあたる。
関 原さんや、原さんの周囲でアフリカ関連のお仕事をされている人にとっては、SDGsは何か恩恵になったのでしょうか?
原 「時代がやっと自分たちに追いついた」と言う人たちもいました。たとえば、アフリカで商品開発にずっと携わってきた方々からすると、とにかく資源が限られているので、アップサイクルも、物を大切に使うのも当たり前のこと。それが、2015年ごろを境に、「エシカル」「SDGs」という文脈で声をかけられる機会がとても増えたそうです。
それに「乗っかっとけ」という姿勢も当然あっていいと思いますが、私は、これまで当たり前にやってきたことに「外から来たもの」というSDGsのイメージがついてしまうことには勿体無さも感じていました。
たとえば日本には、これまで「三方よし」「四方よし」のような考え方は当たり前で、誇りに思ってきた、という企業さんも多いはず。それがSDGsという言葉に置き換わったことで「自分ごと」から遠のいてしまう懸念もあると思います。
SDGsが流行っちゃうことの功罪というんでしょうか。難しいですよね。
関 確かに、流行として受容されると本質が置いてけぼりになることがあります。企業の中には、「SDGsのために取り組まないと怒られるから渋々」という意識の所も多いと思います。
ある会社の社員さんから「関さん、僕はSDGsを盲信しているわけじゃありませんから!」と言われて困惑したことがあります。会社がうるさいから仕方なく同調してるんだ、という意味だったのかな。でも、そんなこと言ったら僕も「盲信」をしているわけじゃないんだけど......(笑)
僕は基本的に、「別に興味ない」というスタンスでもとりあえずやる人は、何もしない人よりは良いと思っています。とはいえ、雑誌で発信をする立場として、ここはいつも押し問答をするポイントです。
原 ウォッシュも目立つようになりましたからね。世界情勢ではSDGsに逆行する動きもあって気になっています。
関 そうですね。いまだに気候変動は「でっち上げ」だと主張する人がいますし、トランプ大統領の再選は象徴的でした。2025年、SDGsはどうなっていくのか、注目するポイントがたくさんあります。
撮影/坂功樹 編集・コーディネート/丸田健介(講談社SDGs)
C-stationグループで、BtoB向けSDGs情報サイト「講談社SDGs」担当。