「地球の限界」と「貧困」──Transforming our world(第3回)

2021年03月18日

個人と組織の意識変容を通じて、社会システムの変革を推進している「イマココラボ」からのメッセージ。今回は、SDGsに取り組むとき、私たちがどういう問題意識をもっておくべきかについて考えてみたいと思います。決して他人事ではない地球と貧困に関わる問題とは、どのようなものでしょうか?

語り:能戸俊幸 構成:講談社SDGs編集部

「地球の限界」はすでに超えている

SDGsでは17の目標が掲げられていて、それらの目標はすべてつながり合っているという話は前回しましたね。17の目標の根底にある問題はその成り立ちから考えると2点に集約できます。ひとつは「地球の限界」、もうひとつは「貧困」です。

「地球の限界(Planetary Boundary)」については2009年に科学誌「Nature(ネイチャー)」にて発表され、以降科学的データにもとづいて考察されるようになってきました。地球には環境容量と呼ばれるものがあります。汚染物質などを分解、浄化できる限度、すなわちシステムとして地球が持っている回復力です。それを超えて人間が活動していれば、地球はもちません。

「地球の限界」に関する研究を主導するストックホルム・レジリエンス・センターは「気候変動」、「生物多様性」、「土地利用の変化」、「窒素・リンによる汚染」の4項目については限界値を超えて危険域へ向かっているという見解を示しています。

18世紀にイギリスで起きた産業革命をきっかけに、世界の人口は爆発的に増加しました。産業革命が起きる直前の1750年段階で世界人口は約7億人だったのに、その後の200年で25億人にまで増え、現在は75億人を超えています。2050年頃には100億人に達するのではないかとも推測されています。

また経済の発展や技術の進歩、生活様式の変化によって、一人あたりのエネルギーや資源の消費量も増加の一途をたどっています。その結果、「1980年代後半にはすでに人間が及ぼす影響力が地球の能力を上回ってしまった」とも言われているので、すでに飽和状態です。

この連載の第1回では「アース・オーバーシュート・デー」についても紹介しましたが、産業革命以降作りあげてきたこれまでのビジネスのあり方の延長線上に人類の持続可能性はないということです。今の私たちが持つ常識や当たり前を超えて、これからのビジネスのあり方を模索し、創りだしていくことが求められています。

地球を守るために広がる「循環型経済」

「地球の限界」という視点から、最近は、生産して消費したものの一部を資源として再利用していく「リサイクル型経済」にとどまらず、設計などの段階から廃棄を出さず資源として回収・循環・再利用できるようにデザインする「循環型経済(サーキュラーエコノミー)」という考え方が重要視されてきています。

ヨーロッパでは、各国がサーキュラーエコノミー戦略を打ち出しています。その一環として、「サーキュラー建築」が生まれています。ドイツなどでは、廃棄物の半分ほどが建設・解体廃棄物で占められています。建てる時の効率やコストだけを考えていてはその状況は変わりません。そのため近年、建築方法として取り入れられてきているのが、最初から壊すときのこと、すなわち出口を考えてデザインしていくやり方です。

たとえば、建てるときに資材に化学接着剤を使用すると効率的である反面、資材同士がべったり接着され、解体時には廃棄する以外に選択肢がなくなってしまうので使用しない、将来的に移設・再利用することを前提に柱を太めにすることで次の建物に再利用する時に少し削ればまた新たな柱として使えるようにしておく、断熱材としてリサイクル素材を使う......など、さまざまな工夫がなされています。

日本でも長野県のアトリエデフという1995年創業の会社は、国産木材、自然素材にこだわり「土に還る」家づくり、さらには環境に負荷をかけないよう循環・再利用できる部材、建材開発をするなど「使い続ける」家づくりを続けていることで注目されています。

アトリエデフ社長の大井さんは、独立前の工務店勤務時代に自身で設計・現場管理して建てた自宅に引っ越したときに建築時に使用する新建材や接着剤などの化学物質によるシックハウスでご家族が体調を崩されるという経験をしていて、それをきっかけに問題意識を強くしたそうです。しかし、便利で効率的な新建材ブームだった当時の業界では「住む人の健康を守る自然素材にこだわった家づくり」という考えはほとんどない状況。そこで思い切って起業して国産木材や自然素材に特化した家づくりをスタート。しかし、便利で効率的な家づくりが当たり前の業界にあっては、国産木材や自然素材のみを使用し新建材や化学接着剤は使用しないというのは異端の発想です。

最初は現場の大工さんからも反発があるなど苦労も多かったそうですが、信念を持ち対話を続ける中で少しずつ周囲に理解され、結果、「アトリエデフに家を作って欲しい」というお客様の声も増え、業績も着実に伸びたことで更なる好循環が生まれているそうです。

さらには、家を作るにとどまらず、環境に対しての消費者ひとりひとりの意識を変えるために、日本の山の現状を知る、循環する暮らしに触れる、考える、体験をしてもらえるよう、畑で野菜を作ったり、森の中で行うワークショップを提供したり、様々な取り組みもされています。

持続可能性への意識の高まりやコロナショックによって、暮らしのあり方を見つめ直す人が増えたこともあり、今では一般消費者からの問い合わせが止まらないほどになっていると聞きます。利益の追求のために始めたことではなく、「人や環境への思い」を起点に信念を持って続けていくことで、結果的に利益が循環し、企業としての価値が高まっていく例はほかにも多くあるのではないでしょうか。

貧困撲滅は「SDGsの1丁目1番地」

もうひとつ大きなテーマである「貧困」についてはSDGsが国連で採択された際の文書の前文にこう書かれています。

「我々は、極端な貧困を含む、あらゆる形態と側面の貧困を撲滅することが最大の地球規模の課題であり、持続可能な開発のための不可欠な必要条件であると認識する」

つまり貧困撲滅は、SDGsの1丁目1番地(最優先課題)だとも言えるわけです。

貧困は、生存を維持することさえ困難な「絶対的貧困」と、その国における水準から見て生活に困窮していると判断される「相対的貧困」に分けられます。絶対的貧困については、世界的な基準も考えられています。

SDGsでは1日1.25ドルの生活をボーダーとしていましたが、ドル安もふまえて2015年には世界銀行が1日1.9ドルに改めました。このラインで見たとき、世界全体の貧困率は約10%だとされています。地域差はやはり大きく、サブサハラ・アフリカ地域では41%にもなっています。コロナの影響によって現在はさらに絶対的貧困層が増えていると見られています。

日本では相対的貧困が深刻な状況です。世帯の年収が122万円以下で相対的貧困に該当するとみなされ、日本の子供は7人に1人がそうした家庭で育っています。豊かなように思われがちな日本でも、それが現実なんですね。

実を言うと、こうして話している私自身も相対的貧困の家庭で育ちました。子供の頃、誕生日やクリスマスにプレゼントをもらったことはなく、塾に通ったことや旅行に行ったことはないのはもちろん、牛肉を食べたことは全くありませんでした。服なんかにしても、もらったものばかりでしたね。

最近は、お手頃価格の子供服チェーン店もできたので、貧困家庭にあっても身綺麗な服装をしていることも増え、外見だけでは貧困状態にあるということが見えづらくなっています。そのため、周囲の理解や支援が届きにくくなるなど問題を複雑化させている側面もあります。

日本で貧困の話になると、それは「本人やその親の問題である」といった自己責任論が出てくることがあります。個人の問題で、ということが無いわけではないですが、本人の意思や能力に関わらず構造的に貧困が再生産されているという実体があります。私の場合は私が知らないところでの支援も含め色々な人の助けがあって、幸運にも貧困の構造から抜けられたというだけで、そういったケースは必ずしも多くはありません。

より安定した収入を得るためには教育がひとつ重要な要素になります。しかし貧困家庭では、高校、大学、特に大学への進学率が低下します。ひとつの理由は経済的な理由で進学を諦めざるを得ない状況になりやすいということです。また幼少期の家庭環境などの影響で学力がそもそも伸びにくいというデータもあります。特に10歳以降は学力の伸びの鈍化が顕著になると言われています。

では、それは親の問題なのではないか、と思われるかもしれません。でも貧困には世代間連鎖という面があります。たとえば現在、生活保護を受けている人の4割は「出身世帯も生活保護を受けていた」という統計があります。つまり、親もまた貧困の構造に取り込まれたひとりの子どもだったということです。教育の面だけ取りだしても個人の努力でそのループを断ち切ることは難しいわけです。

だったら子どもをもうけるべきではない、という話も出そうです。でも、他の人が望むことを許されている「子どもを授かりたい」という願いを貧困家庭に生まれたという理由だけで制限されてしまうとしたら、それは個人の問題ではないのではないでしょうか。そうではなく、私たちが作りだしている社会システムによる人権の問題として捉えることが重要です。だからこそ、ありたい社会の姿をみんなで考えていく必要があります。

貧困対策は「投資」とも言える

マクロで見た時、貧困家庭が増えれば、税収が下がります。一方で社会保障は必要になるため社会保障費は上がるので、全体の財政にも負担がかかります。現在の子どもの貧困をこのまま見過ごしている場合と、貧困家庭の子にも教育機会を確保するなどして改善できた場合を比べると、どうなるか......。所得で42.9兆円の差がつき、財政収入が15.9兆円失われるという試算も出されています(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)。「貧困対策」は、実は道義上の問題だけでなく、財政を改善するための「投資」としても有効な取り組みと言えるかもしれません。

日本国内でも貧困の問題は大きいわけですが、世界で起きている絶対的貧困はまた違った影響につながっています。テロリストと呼ばれる人たちの中には絶対的貧困の当事者が多く含まれます。宗教やイデオロギーのために銃を取っている人もいる一方で、その日生きていくことすら難しい人たちが銃を取らされているという側面もあるわけです。このように、貧困はテロや紛争がなくならないことにもつながっています。

「地球の限界」と「貧困」という背景を理解しつつ、改めて、「私たちはどんな社会、世界を創りたいのか」「その社会、世界に向けてどんな行動をするのか」という問いに私たちひとりひとりが向き合っていくことが大切です。

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SDGsの基礎知識