2023年05月12日
SDGsは、2030年までに目標達成を目指す、国際社会共通の目標です。その5年前となる2025年、「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」が開催されます。この万博は「SDGs万博」とも呼ばれ、SDGsの目標達成に大きく貢献するとみられています。ジャーナリストの稲葉茂勝さんが、著書『2025年大阪・関西万博 SDGsガイドブック』(文研出版)をもとに、その理由を解説します。
日本で初めての万国博覧会(万博)は、1970年大阪で行われました。そして2025年、大規模な万博としては55年ぶりに、再び大阪で万博が開催されます。本連載では、2025年の大阪・関西万博とSDGsの関係について、詳しく解説していきます。
初回となる今回は、「万博の目的と役割」についてご紹介します。
子ども大学くにたち 理事長/ジャーナリスト 稲葉茂勝さん
通称「万博」は、正式名称を「万国博覧会」と言います。では万博とは何か。それは、世界の産業と文化発展のために、生産品や見本品、説明図などを集め、展示や販売を行う国際的なイベントのことです。
そのルーツは、1851年にロンドンで行われた「第1回ロンドン万国博覧会」だとされています。同博覧会では、巨大なガラスと鉄骨でできた水晶宮(クリスタルパレス)が話題となり、展示された機械や陶器、薬品などとともに、イギリスの国力誇示に大いに貢献しました。
第2回万博は1867年、パリのシャン・ド・マルスで開催されました。ちなみに「第2回パリ万博」は、日本が初めて出展した万博でもあります。
江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜はナポレオン三世から招待されていましたが、自らの代わりに弟の昭武を代表として送ります。しかしこのとき、すでに現地に到着していた薩摩藩の若者たちが「薩摩琉球国太守政府」の名で出展を決めていたため、幕府が後から出展を決めた形となりました。その様子に、「幕府がすでに権威を失っている」と考えた諸外国もあったようです。そしてその予感は、奇しくも同年、「大政奉還」という形で現実のものとなります。
万博が開催されるようになった初期の頃は、「国際博覧会」が一種の流行にもなって、1年のうちに2~3ヵ所で博覧会が開催された年もあったようです。
しかしあちこちで万博が開催されると、権力誇示のために予算がかさんだり、特定の地域や企業の利益のために開催されたりするケースも出てきました。そこで、こうした動きを国際的に見直そうと、1912年に国際博覧会に関する条約(BIE条約)が採択されました。ですが、1914年、第一次世界大戦が勃発したため、条約発効には至りませんでした。
そのため、現代の万博は、第一次世界大戦後の1928年に成立した「国際博覧会条約(BIE条約)」で定められた基準に従って開催されています。オリンピックを主催しているIOC(国際オリンピック委員会)のように、万博を管理・統括しているのがBIEだと考えるとわかりやすいかもしれません。
条約は採択されたものの、各国が自由に任意のものを展示していくスタイルでは、やがてBIE条約の基本方針から外れてしまうことも考えられます。そこで、1933年の「シカゴ万博」からは出展者・参加者に共通したテーマが設けられるようになりました。
シカゴ万博では、開催地のシカゴとBIE事務局との協議の上、「進歩の世紀」というテーマが掲げられました。テーマに沿って出展者や参加者が集まることで、その思想・観念がより多くの共感につながると考えられています。
それから37年後の1970年、ついに日本で初めての万博「日本万国博覧会(大阪万博)」が開催されました。テーマは「人類の進歩と調和」。
その後「1975年沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)」、「1985年国際科学技術博覧会(つくば万博)」、「1990年国際花と緑の博覧会(花の万博)」、「2005年日本国際博覧会(愛・地球博)」が開催。そして2025年、大規模な万博としては55年ぶりとなる「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」が開催されます。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。
2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の開催地「夢洲」 画像:Adobe Stock
深い歴史を持つ万博。その「役割と目的」について、解説します。
世界各国から英知が集まる万博は、新しい技術や製品が展示され、人々がより便利になるきっかけとなってきました。たとえば、エレベーターや電話、新幹線なども、そのひとつです。ちなみに1970年の大阪万博では「動く歩道」が活躍し、広く知られる契機となりました。最先端の移動手段は当時、来場者を大いに驚かせたそうです。
現代の万博は、技術や製品の展示だけでなく、芸術や地球規模のさまざまな問題について世界に広く発信する場にもなっています。2025年の大阪・関西万博では、地球環境についての課題を世界で共有する目的で、人類共通の課題である持続可能な開発目標(SDGs)の達成に注力しているのが特徴です。万博を開催することで、SDGs達成への貢献と、リアルとバーチャルが融合する未来社会「Society5.0」の実現を目指しています。
実は、万博が地球環境問題に向き合うのは、大阪・関西万博が初ではありません。過去にもそうした例は存在します。
1972年、スウェーデンで「かけがえのない地球」を標語に掲げ、国連環境会議が開催。世界的に環境問題に対する関心が高まるなか、1974年に行われた「スポーケン万博」(アメリカ合衆国)は、「未来の環境のため」をテーマに、万博として初めて環境保護を前面に打ち出した万博です。
ちょうどこの頃、人口増加や環境破壊が懸念されるようになっていたところへ、1973年の第4次中東戦争によって第1次オイルショックが起こり、世界的に資源や環境問題に関する関心が高まっていたことが理由です。
期間中の世界環境デー(6月5日)には環境シンポジウムを開催するなど、環境関連行事も多く行われました。閉会後は会場跡地を公園として活用するなど、「環境万博」の名にふさわしいものとなりました。
2008年にスペインで開かれたサラゴサ万博は、「21世紀最大の環境問題」といわれる水問題を主軸として「水と持続可能な開発」をテーマに開催されました。
サラゴサ市のエブロ川沿いの地区で開催されたこの万博では、水と人間の関わりが実感できる展示や講演を実施。また、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁を務めておられた当時の皇太子殿下が「水の論壇」シンポジウムで行った特別講演も話題となりました。
2015年にイタリアで開催されたミラノ万博は、「地球に食料を、生命にエネルギーを」がテーマに掲げられました。
地球上には当時73億人(現在は80億人)あまりもの人が暮らしていました。そのなかには、飢餓や栄養不足を招く深刻な食糧難を抱える人々が多く存在する一方で、飽食と肥満、大量の食料廃棄をしている国や地域もあります。こうした両極端な課題と向き合い、また、増加し続ける人口に対し、どう食料を供給していくか。そのためには、持続可能な食糧生産をはじめとする綿密な計画と国際協力が欠かせません。そこで、ミラノ万博では「食」という課題への喚起が行われたのです。
また、多くのアトラクションを通じて水やエネルギーの大切さが学べる企画も展示され、「食料・水・エネルギーへの権利をすべての人と将来の世代に保障できるよう行動する」と記されたミラノ憲章には、マッテオ・レンツィ首相(当時)をはじめ多くの要人が署名しました。
環境問題やエネルギー問題など、人類共通の課題解決に寄与することは、いまや万博に課せられた使命とも言えます。
2017年にカザフスタンで開かれたアスタナ万博では、「未来のエネルギー」がテーマに掲げられました。「CO2排出削減」「エネルギーの効率的な利用」「すべての人類のためのエネルギー」がサブテーマとして設けられ、地球温暖化防止のための新技術やイノベーションの発表や、環境問題やエネルギー問題を考慮した提案がなされました。
「大阪・関西万博への興味関心を広げ、SDGsのゴール達成に貢献したい」と語る稲葉さん
こうして過去の万博を振り返ってみると、万博はSDGsが掲げる目標と同じ方向を向いており、SDGsのゴール達成に万博が重要な役割を担っていることが、よくわかります。次回は、日本の万博の歴史について解説します。