2024年12月26日
この連載では、毎回異なる脆弱者をとりあげ、その福祉と環境問題との関連を考えてきましたが、今回の対象は「労働者」です。
労働者は、労働基準法第9条によれば「事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」と定義されます。使用者は労働者の労働条件(採用・解雇、賃金、労働時間等)を決定する権限があります。
これに対して、労働者は団結することで使用者と対等の立場で交渉する権利(団結権、団体交渉権、団体行動権)が保証されているものの、中小企業等ではそれらの権利が行使できない状況にあることが多くあります。また生活のため必要な賃金を得るために不本意でありながらも使用者に服従している場合もあるでしょう。労働者の立場は、使用者の立場に対して脆弱です。
ただし、労働基準法第9条に基づく労働者の定義は狭義のものです。広義の労働者としては、フリーランスや個人事業主、ボランティア、学生インターン、家事労働者(家庭内労働者)等のように、使用者から指揮監督を受けない、あるいは賃金をもらわない場合があります。
広義の労働者は使用者との関係における脆弱者ではありませんが、経済が不安定で社会保障が不十分な社会においては、制度や組織としての支援が十分とはいえず、脆弱者となってしまいます。
今回は、労働者を広義に捉え、脆弱者としての労働者と環境問題との関係と解決方向を記していきます。なおこれまでと同じく、環境問題としては気候変動問題を中心にとりあげます。
労働者の脆弱ゆえの問題を「労働問題」とします。この労働問題と環境問題との関係として、注目したい点を図1に示します。
図1 労働問題と環境問題の関係
図に示すように、環境問題あるいは環境問題への対策は、労働問題にマイナスの作用をもたらす場合があります。
気候変動や環境汚染は労働者の労働環境を悪化させ、労働者の心身の健康を害する可能性があります。
また、ゼロカーボン社会の実現に向けて大胆な対策が求められる気候変動の緩和策は産業構造の転換を求めるものとなり、その移行段階での失業等の「移行リスク」が発生します。このため、気候変動対策における「公正な移行」が課題となっています。
一方、気候変動対策は新たな市場形成や新規投資を促すものであり、雇用創出というプラスの作用をもたらします。
「労働基準の強化に伴い、環境対策を担う企業活動が十分に行われなくなる」という、労働問題対策から環境対策へのマイナスの作用もあります。
たとえば、バス事業は労働時間の基準が厳しくなることで減便をせざるをえなく、それによってバス事業の衰退が進む可能性があります。環境効率のよいバス事業の衰退は、環境対策として望ましくないことです。
図1の順番に、労働問題と環境問題の関係を見ていきます。
気候変動の労働問題への影響について、国際労働機関(International Labour Organization:ILO)が、2024年に出した「気候変動下における職場の安全と健康の確保(Ensuring safety and health at work in a changing climate)」という報告書で、「数十億人の労働者が気候変動によるリスクにさらされている」としています。
一部を以下に抜粋します。
さらに同報告書では、特に脆弱な特性を持つ労働者への影響をまとめています(表1)。
表1 特に脆弱な労働者に対する気候変動の影響
労働者は一様ではなく、他の脆弱性の要因と交差することで、労働面での脆弱性がさらに高まることがわかります。
同報告書では、労働者への気候変動の影響を踏まえて、新しい労働安全衛生方針の作成や既存の法律の見直しが求められること、また労働者との対話により協力して気候変動政策を策定すべきことを指摘しています。
次に、環境問題への対策によって発生する労働問題へのマイナスの影響についてです。
「移行リスクの軽減(公正な移行)」について、ILOは2016年に「環境面から見て持続可能な経済とすべての人のための社会に向かう公正な移行を達成するための指針(Guidelines for a just transition towards environmentally sustainable economies and societies for all)」を策定しています。
同指針では、環境対策としての持続可能な経済への移行が、「適切に管理されれば、雇用創出、雇用の向上、社会正義、貧困撲滅の強力な原動力となり得る」一方で、「労働者の離職、企業や職場のグリーン化に起因する雇用の喪失、資産や生計の喪失等の大きな課題に直面している」ことを指摘しています。
そして、環境と雇用に関する問題の規模と緊急性を考えると、「世界には問題に取り組むための資源も時間もない」「これらの課題に共同で取り組むことは選択肢ではなく、必須事項である」と、この課題の緊急性と重要性を指摘しています。
この指針を受けて、2018年の気候変動枠組み条約ポートランド会議(COP24)では公正な移行に関する宣言が主催国から提案され、「連帯と公正な移行のためのシレジア宣言」として採択されました。
さらに、2021年の気候変動枠組み条約グラスゴー会議(COP26)においても、脱石炭への宣言とともに、ILOの指針を支持することを表明した「公正な移行宣言」がつくられました。
日本においても、国の地球温暖化対策防止計画(2021年に改正が閣議決定)の基本的考えかたの記述の中で、次の3点を記述しています(引用)。
世界的にみれば、ゼロカーボン社会に向けて、公正な移行の問題となる業種は化石燃料関連産業ですが、日本の場合はそれに加えて、自動車の電動化に伴うエンジン部品サプライヤーの電動部品製造、あるいはガソリンスタンド等が公正な移行の対象として重視されています。
当然のことですが、産業構造の転換として何を行うのか(=どのようなゼロカーボン社会の産業構造)を目指すのか、移行のロードマップをどのように描くのかによって、移行対象となる産業は異なるものとなります。石炭火力発電はもちろんのこと、天然ガス供給、コークス還元による製鉄、石油を原料とする化学工業(石油由来プラスチック)等も、水素利用等の新技術の実用化と市場形成の動向次第で移行リスクのある産業となります。
欧州では、石炭火力からの移行において成功事例があるとされます。公正な移行の成功の秘訣は、明確なビジョンとフェーズアウトのスケジュールの共有、行政による公的支援や労働者の移行への教育・訓練、行政・企業・市民の連携等による社会全体で取り組み等にあるようです。
先行事例から学ぶべきは、できるところから移行を始めていこう(それによって脱炭素が遅れても仕方ない)というような真綿で首を絞めるようなやり方ではなく、(日本の地球温暖化対策防止計画にも書かれているように)地域ぐるみで対話を徹底して明確なビジョンを共有し、地域の産学官民が一体となった大胆な移行をすることが求められるのではないでしょうか。
次に、環境問題への対策による労働問題へのプラスの影響(つまり雇用創出)に注目し、2つの報告書を共有します。まず、経済協力開発機構(OECD)が2024年7月に発表した「OECD雇用見通し2024:ネットゼロへの移行と労働市場(The Net-Zero Transition and the Labour Market)」をとりあげます。
この中で、OECD 全体では労働力の約 20% が「グリーン主導型職業」、つまりネットゼロへの移行によってプラスの影響を受ける職業に従事しているとされています。
これに対して、温室効果ガス(GHG)を大量に排出する産業や部門は全温室効果ガス排出量の約80%を占めますが、その雇用に占める割合は7%にすぎない(2019年時点)と報告されています。
日本ではグリーン主導型職業の就業人口に占める割合は21.9%、GHG集約度の高い職業の就業人口は4.7%とされています。OECD平均と比べて、大きな差はありませんが、ややグリーン主導型職業が多い傾向にあります。
OECDの報告書では、次のような移行における格差や不平等の問題を指摘しています。
次に、ILOが2024年10月に国際再生可能エネルギー機関(IRENA)と共同で作成した「再生可能エネルギーと雇用 2024(Renewable Energy and Jobs―Annual Review 2024)」という報告書の要点を抜粋します。
気候変動への対策による労働問題への影響に関するOECDとILOの報告書をもとに、3つの要点を示します。
第1に、マクロにみれば気候変動対策による労働者への追い風のほうが向かい風よりも強く、追い風を受ける業種が向かい風を受ける業種からの移行の受け皿になっていくことが期待されます。受け皿の創出が公正な移行にとって必要であり、その動きが世界中で進行しています。これは"移行における業種間の格差の解消"という側面です。
第2に、グリーン主導型産業が雇用の受け皿となるためには、移行しなければならない主体の側にある地域格差やスキルによる個人格差への配慮が必要となります。これは、"移行能力の格差への配慮"が必要ということです。
第3に、グリーン主導型産業における雇用創出においては、途上国の福祉や女性の社会進出を促すことが期待されます。これは"格差の是正を狙いとする移行"という側面です。
以上をふまえると、公正な移行とは移行リスクの程度の違いで生じる格差を是正することですが、移行主体における対応能力の格差、移行を通じた別の格差の是正という面でも格差への配慮や是正を図るものだということができます(図2参照)
図2 「公正な移行」で扱う格差の3つの側面
図1に示した労働問題と環境問題、労働対策と環境対策の関係のうちの最後のテーマとして、労働対策(特に労働基準の強化)が気候変動対策に与える影響をとりあげます。
いわゆる働き方改革の一環として、労働基準法が改正され、2019年から多くの業種で時間外労働に上限が設けられました。その中で、運送業と建設業、医師は、準備期間として5年間、適用が猶予されていましたが、2024年4月から、これら業種も規制の適用が始まりました。これに伴う影響が大きいことから、2024年問題ともいわれています。
この2024年問題が気候変動対策に与える影響(想定例)を表2に示します。
表2 2024年問題としての時間外労働への上限規制と気候変動対策への支障(想定例)
運送業についていえば、地域のバス運行の減便、主要路線以外の廃止等が始まっています。
都市部ではバスから自動車への代替が進むことはなく、不便を強いられるということに留まりますが、地方部では自動車利用の増加がさらに進む可能性があります。
とはいえ電気自動車に乗り換えればいいものでもなく、再生可能エネルギー等の供給制約を考えると、移動におけるエネルギー消費量をできるだけ減らしたほうがよく、バスの利用促進が求められます。
労働時間の規制強化への対策として、AIやロボットの活用、外国人労働者の受け入れ拡大等がありますが、その対策にも功罪両面があり、慎重な対策が求められます。労働基準を遵守しつつ、労働者も地域の経済、福祉も、地球環境も幸せな社会を描き、地域ぐるみで取り組んでいくことが求められています。
ここまで気候変動と労働問題のことを記してきましたが、気候変動以外の環境問題についてはどうでしょうか。
たとえば、有害化学物質による環境汚染による労働者の健康被害も深刻です。
ILOは毎年10億人を超す労働者が、労働環境において、有害な化学物質に曝露し、多くが、致死的な疾患、がんや中毒、あるいは火災や爆発による傷害によって亡くなっているとしています。
世界的に化学物質の生産は拡大していること、また毎年新しい化学物質が導入されていることから、有害な化学物質の規制が追いついていないという状況があります。一部の有害化学物質は禁止されているものの、多くの有害物質が世界で使用されており、特に開発途上国の労働者への影響が懸念されています。
また、ゼロカーボンに向けた脱炭素推進以外の環境対策においても、公正な移行が求められる産業があるでしょう。環境対策における公正な移行が求められるケースとして、以下をあげておきます。
ここまで、環境対策(気候変動)と労働者の福祉との関連を記してきました。特に「公正な移行」はゼロカーボンに向けて産業構造の転換を図るうえで重要な課題となります。移行が進まないことが障壁となって、ゼロカーボン政策がなし崩しになることがないよう、関係者との対話によって将来ビジョンと移行シナリオを明確にして共有し、国ぐるみ・地域ぐるみの移行の実践を進めることが必然となります。
そして公正な移行の先に目指すべき社会は、ゼロカーボンの実現だけでなく、労働者の福祉も充実しており、労働者が活き活きと仕事をする社会、すなわち誰もが「ディーセント・ワーク (Decent Work)」に従事する社会であるはずです。
ディーセント・ワークとは、1999年のILO総会で使われた言葉で、「働きがいのある人間らしい仕事、より具体的には、 自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、 全ての人のための生産的な仕事」のことです。
最後に、ゼロカーボンとディーセントワークを実現した社会の具体像を下記に書きだしてみます。
次回は、健康(ウエルネス)と環境問題をとりあげます。