2021年03月04日
投資銀行の破綻から始まった「リーマン・ショック」。その後、日本のCSRは"暗黒の時代"へ向かっていきましたが、欧米の企業は正反対の方向「サステナビリティ経営」へと舵を切ります。なぜ真逆の現象が起きたのでしょうか?
語り:夫馬賢治 構成:講談社SDGs編集部
2008年9月、アメリカの有力投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産したことによって起きた「リーマン・ショック」。株価は大幅に下落して、アメリカの大企業500社の総利益は2007年の最高値から約90%も減少しました。比較的影響が少なかったと言われる日本でも2007年度から2008年にかけて上場企業の総利益は約80%の減少となりました。
しかしリーマン・ショック後、日本と欧米の企業では、CSR活動において、まったく異なる動きが見られました。
1990年代、環境(地球温暖化問題)に関する国際条約が結ばれたことで、事業で得た利益を社会に還元する「CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)」活動において、「環境」を結びつける動きが世界中で加速し始めました。
一方、日本の「CSR元年」は2003年と言われています。つまり日本のCSRは、スタートした時点ですでに、世界から10年以上も遅れていたわけです。そのわずか4年後に起きたのがリーマン・ショックでした。
日本では、多くの企業で徹底的なコスト削減が断行されました。採用が大幅に縮小され、社会貢献活動費も大幅カット。当然、CSR活動は縮小。こうして日本のCSRは、生まれてまもなく「暗黒の時代」に突入していくことになったのです。
欧米のグローバル企業も、日本同様、コスト削減を進めました。しかし欧米のグローバル企業は、日本とはまったく異なる動きをみせました。全体のコストは削減しても、企業を取り巻く環境課題や社会課題に関する検討予算は拡大し、経営全体のサステナビリティ戦略を検討する役割がCSR部門には課されました。
その背景には、リーマン・ショックによる大量リストラなどで、企業が社会的な信頼を失墜させていたことがあります。企業として生き残っていくためには、社会からの信頼を取り戻す必要があった。だからこそのCSR活動の強化だったわけです。
たとえば、世界有数の大手消費財メーカーであり、SDGs先進企業ユニリーバは2009年に「ザ・コンパス」という戦略を発表。「環境負荷を減らし、社会に貢献しながらビジネスを成長させる」ことを掲げました。さらに翌2010年には「環境負荷の半減」、「10億人のすこやかな暮らしの支援」、「数百万人の暮らしの向上」という3つの大きな目標を中心とした50項目以上にわたる数値目標を立てています。
2008年のリーマンショック後に、環境に配慮した取り組みを始めたのはユニリーバに限ったことではありません。
連載の第1回「スターバックスに見るSDGsの世界標準」の章で紹介したようにスターバックスがプラスチックの消費削減などの定量目標を設定したのが2008年。また、世界最大級の小売チェーンであるアメリカのウォルマートは2005年段階で「100%再生可能エネルギーによる事業運営」、「廃棄物ゼロ」などの目標を掲げており、リーマン・ショック後も計画を縮小せず、むしろ拡大させています。
これらの企業に限らず、欧米では環境に配慮した目標を設定するケースが増加。それを後押しするように、リーマンショックで痛い目をみた大企業の株主たちも、長期目線で経営を行うことの重要性を痛感し、企業のサステナビリティ・アクションを支持していくことになりました「"企業そのもののサステナビリティ(持続可能性)"を守るためには、株主価値とステークホルダー(利害関係者への価値)を同時に追求しなければならない」という考え方が広く浸透していきました。加えて、省エネ・省資源を進めていくことは長期的なコスト削減につながるため、環境問題への取り組みは、ますます強化される流れとなりました。
こうして環境や地域社会と共存しながら企業を存続させて利益を拡大していく「サステナビリティ経営」の考え方は、リーマンショックを機に、欧米のグローバル企業に急速に広がっていきました。この流れは、2006年に発足していた国連責任投資原則(PRI)」が発表した「ESGを考慮した経営は、企業そのもののサステナビリティを担保するものになる」という方針を大きく加速させていきました。
欧米のグローバル企業がいち早く「サスティナビリティ経営」を進める一方で、日本の企業は遅れを取っていました。
2014年、100%再生可能エネルギーで事業運営していくことに取り組む企業が加盟する国際的な企業連合「RE100」がイギリスで発足。しかし日本の企業として最初にリコーが加盟したのは3年後の2017年4月です。この頃にはもう、海外の大手投資家は「再生可能エネルギーに切り替えようとしない企業への投資にはリスクがある」とみなすようになっていました。ですが日本の企業のほとんどは、「RE100」の存在すら知らなかったのではないでしょうか。世界と日本では、それほどまでに意識の乖離が起きていたわけです。
同年7月、日本の国民年金と厚生年金の合計約170兆円の資産運用を担う「年金積立金管理運用行政法人(GPIF)」がESG指数を選定して、それに連動した資産運用を行っていくと発表しました。そのプレスリリースには次のように書かれていました。
「今回選定したESG指数の活用が日本企業のESG評価が高まるインセンティブとなり、長期的な企業価値の向上につながるよう期待しています。ESGを重視する海外の長期投資家がこの点に着目すれば、日本株の投資収益が改善する可能性も高まります」
GPIFによるこの表明が、金融関係者やCSR担当者の意識を変えることにつながりました。ここでようやく、日本はSDGsを道しるべとする「ニュー資本主義」へと向かい出したのです。
日本の認識がいかにずれていたかということは、気候変動対策の意識の部分から見ても明らかです。
気候変動の議論が国際政治のテーマになったのは1994年に「国連気候変動枠組条約」が発効してからです。翌年からこの条約に加盟している締約国が集まり「COP(締約国会議)」が開かれるようになりました。「京都議定書」が採択されたのは1997年に京都で開催された第3回目の「COP3 京都会議」でのことでした。
当時は、まだ日本でも海外でも、気候変動対策と経済成長を両立できるという考え方は主流ではありませんでした。特に2007年からは日本では、気候変動懐疑派の本が次々と出版されていきます。一方、欧米では、2005年にアメリカ南部を襲った巨大ハリケーン「カトリーナ」や、先述しリーマンショックの影響を受け、気候変動対策は将来の経済成長には必要なものと認識されていきました。
気候変動対策待ったなしの気運が高まっていた中で開催されたのが2015年の第21回目の「COP21パリ会議」です。ここで京都議定書に代わる新たな国際条約として「パリ協定」が結ばれました。この場で、欧米の企業や投資家は、パリ協定成立を大きく支援していたことは、日本ではあまり知られていません。そのような状況もあり、欧米ではすぐにパリ協定を批准し、パリ協定に正式加盟していきます。一方、日本の意識は遅れたままでした。そのため、パリ協定への参加が遅れてCOP22パリ協定締約国会議には投票権のないオブサーバ参加に終わってしまったのです。
それから5年余りが経過した現在、日本の状況も大きく変わりました。当然、先行していた欧米諸国はサステナビリティをより重視する傾向にあります。日本も今後、ビジネスにおいてサステナビリティを意識する流れは、ますます加速していくはずです。その未来で取り残されないために、企業は変化をおそれず、勇気を持ってSDGsへの取り組みを進めることが今、求められています。