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カーボンニュートラルと経済の相関関係──カーボンニュートラルと経済(第1回)

2021年08月12日

菅首相の所信表明演説によって、一躍バズワードとなった「カーボンニュートラル」。しかし世界的に見れば、それよりずっと早くから注目されていた環境用語です。世界は今、どのような危機感を抱き、どこへ向かおうとしているのでしょうか。

語り/夫馬賢治 構成/講談社SDGs

脱炭素へと、首相を動かした「経済界の声」

「カーボンニュートラル」という言葉は、最近よく耳にするようになったという印象を持つ人が多いのではないでしょうか。たしかに日本ではこれまであまり聞かれなかったかもしれません。しかしこの言葉は、2006年に『新オックスフォード米語辞典』の「今年の言葉」にも選ばれていました。世界的に見ればこの頃から広く認知されていた環境用語なのです。

日本でこの言葉が注目を集めたのは、遅れて2020年9月のことでした。菅首相の所信表明演説の中に「2050年カーボンニュートラルを目指す」との宣言があったことからメディアを賑わすキーワードとなり、経済用語のように扱われるようになったのです。

カーボンニュートラルは「炭素中立」などと訳されます。二酸化炭素(CO2)の排出量と吸収量をプラスマイナスゼロにして脱炭素社会を目指す概念です。

これまでこのサイトで連載していた『「ニュー資本主義」のすすめ』でも解説してきたように、近年、多くの投資家は、環境(Environment)・社会(Social)・企業統治(Governance)への取り組みを考慮して行うESG投資に傾斜しています。そのなかでも環境問題、とくに気候変動問題は重視されています。結果、投資家たちは、投資先である企業や銀行に対してカーボンニュートラル(脱炭素)を求めるようになりました。

投資家の要求は、菅総理が所信表明演説するより早くから表面化していました。2019年には、機関投資家が投資先企業を対象にカーボンニュートラルを要求する国際的なイニシアティブである「ネットゼロ・アセットオーナー・アライアンス」を発足。同じ趣旨の動きは日を追うごとに拡大していきました。

菅総理の所信表明演説にしても、投資家たちの声が大きくなっていたことに影響を受けていたのは疑いようがありません。菅総理は就任初日の記者会見では新型コロナウイルス対策を最優先課題としたほか、デジタル庁の新設などに言及していながら、カーボンニュートラルという言葉は口にしていませんでした。

しかし約1ヵ月後の所信表明演説でカーボンニュートラルを打ち出したのは、その重要性を痛感した結果、と考えるのが妥当でしょう。

実際、この1ヵ月のあいだには、日本のESG投資普及の立役者といえる水野弘道・GPIF元理事兼最高投資責任者をはじめ、カーボンニュートラルに熱心な人たちが複数、菅総理に面会していました。また所信表明演説に向けての政策協議では、産業界からもカーボンニュートラルを政策の柱にするようにとの働きかけがあったという報道もあります。

こうした一連の動きは、「カーボンニュートラル」が今、非常に重要なキーワードになっていることを示しています。

カーボンニュートラルと気候変動問題

もう少し詳しくカーボンニュートラルについて解説しましょう。

地球の気温上昇を止めるためには、温室効果ガスの排出量を抑える必要があります。たとえば石油を燃やしたとき、石油に含まれる炭素成分が酸素と結合してCO2が排出されます。温室効果ガスを代表するCO2は、私たちが普段、冷暖房を使うなど電化製品を利用することでも排出されます。

一方で、森林などの植物は大気中のCO2を取り込んでくれます。大気中のCO2濃度は「排出=プラス」と「吸収=マイナス」の両面からコントロールされるので、プラス分をマイナスで相殺してゼロにした状態が「ニュートラル(中立)」です。

世界の気温はどんどん上昇しています。人間社会がつくりだしている温室効果ガスがその大きな原因になっていることは、世界中の科学者が集まるグループ「気候変動に関する政府間パネル(IPC)」などでもほぼ間違いない事実と結論付けられています。

加えて、気温上昇がもたらす「気候災害」による被害は、右肩上がりに大きくなっています。気候災害には台風、ハリケーン、サイクロン、豪雨、豪雪、洪水、山火事、旱魃、熱波などが含まれます。災害による保険損害額を見ても、地震災害よりも気候災害のほうが何倍も大きな損失をもたらしています。

カーボンニュートラルと金融界

2020年1月には、各国の中央銀行と取り引きする「中銀のための銀行」といえる国際決済銀行が『グリーン・スワン(緑の白鳥)』というレポートを発表しました。気候変動が巨大な金融危機を引き起こすリスクがあるという警鐘を鳴らしたものです。

たとえば災害や気候変動で企業が打撃を受ければ、株価は下落し、年金基金や保険会社の運用資産は大きく減少します。さらに企業には倒産のおそれが出ますし、倒産が増えれば融資をしている銀行も倒産するかもしれません。もし銀行が倒産しなくても貸し渋りが目立つようになれば、企業の連鎖倒産が発生することも考えられます。

これらが世界全体で同時多発的に発生する可能性もあります。それほど気候変動がもたらす金融システムへのインパクトは大きなものなのです。

とくに困難になるのが物価と通貨の安定です。通常、インフレで物価が高騰しているときには金融引き締めで物価を抑制し、デフレで物価が下落しているときには金融緩和で物価を引き上げます。

しかし、気候変動によって資源や食品が調達できなくなり、物価が高騰し、その状態で経済活動が停滞すれば、金融政策でもっとも対応が困難なスタグフレーション(経済活動の停滞と物価の持続的な上昇が併存する状態)の状態になってしまいます。景気の後退とインフレが同時に発生する。そうなったときには、国際決済銀行も手の打ちようがなくなります。このような事態を避けるためにも、CO2排出量の削減を実現することは重要なのです。

世界の中央銀行が環境保護政策を打ち出している意味

中央銀行であるフランス銀行とイングランド銀行の呼びかけにより、2017年12月には国際的な金融監督機関グループ「NGFS(気候変動リスクに係る金融当局ネットワーク)」が設立され、加盟国・地域は続々と増えています。

アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)が、まだトランプ大統領時代だった2020年11月に発表した「金融安定報告書」の中でも、国際決済銀行とほぼ同じ見解が示されました。この報告書の中では次のようにまとめられています。

・「気候変動は、金融システムの脆弱性を高める可能性もある」
・「FRBは金融安定フレームワークを通じて、気候変動に関連する金融システムの脆弱性の監視と評価を行う」
・「銀行がすべての重要リスクを適切に特定、測定、管理、監視する制度を導入することを期待する」
・「多くの銀行にとって、重大リスクの範疇は気候リスクにまで及ぶ可能性がある」

国際決済銀行や中央銀行が金融政策ではなく、「気候変動政策」を打ち出している現実はこれまでには考えられなかったことです。

このような海外の動きを見て、日本の金融庁や日本銀行も動き出しています。たとえば日本銀行は、金融機関に立ち入って行う「考査」の中で気候変動に関する経営管理状況も管理していくスタンスに立ちました。こうして気候変動は、金融リスク課題としてはっきりと認識されるようになったのです。

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