SDGsという「問い」に応えることが、企業の可能性を解放する──Transforming our world(第4回=最終回)

2021年04月20日

企業のSDGs活動が広がりを見せている一方で、「自分たちは何をすればいいのか?」と悩み、立ち止まってしまう企業もあります。SDGsへの取り組みを通して、企業と、その企業に関わる一人ひとりのみなさんに向けて、『可能性を開くヒントとなるSDGsの捉え方』についてお話します。

語り:能戸俊幸 構成:講談社SDGs編集部

二者択一になりがちな、「プロダクト・アウト」と「マーケット・イン」

企業が事業や商品・サービスを開発していくときのアプローチに、「マーケット・イン」「プロダクト・アウト」があります。

「マーケット・イン」とは、市場のニーズや顧客の声を重視して商品やサービスを生み出していくこと。ひと言でいうなら"ニーズありきの商品開発"です。もう一方の「プロダクト・アウト」は、市場のニーズに合わせようとするのではなく"自分たちは何を作れるのか、何を作りたいのか"を考えることから商品やサービスを生み出していくアプローチです。

以前、ボタンが多すぎるテレビのリモコンなど、日本企業は「プロダクト・アウト」に寄り過ぎており、自社が作れるもの、作りたいものを作っていて市場のニーズが分かっていない、といった論調がありましたよね。

その流れもあって、長年にわたり「マーケット・イン」の重要性が語られてきました。市場や顧客のニーズを起点にする「マーケット・イン」で開発することで市場や顧客から受け入れられやすい商品・サービスを生み出せる確率が上がります。しかし、受け入れられやすいということは、裏を返すと無難なものになりやすく、自社のユニークさが発揮されづらくなる、イノベーティブなものが生み出されにくくなる、ということでもあります。

じゃあやっぱり「プロダクト・アウト」の方が良いのか。といった具合に、こういう話になると私たちは二者択一、二元論で白黒つけようとしがちです。さまざまな社会課題が絡み合い、複雑で持続不可能とも言える今の私たちの世界においては、安易に単純化した答えや極論に飛びつかずに考え続ける姿勢が求められています。

「プロダクト・アウト」「マーケット・イン」についても、どちらが正解かという二者択一ではなく、その両方を見据えた上で、その枠組み自体も超えていくことが求められていると思います。

SDGsに取り組むことで既存の枠を拡張する「アウトサイド・イン」

SDGsの文脈で、既存の枠組みを超えるためのアプローチのひとつとして注目されるのが「アウトサイド・イン」です。

「アウトサイド・イン」とは、「マーケット・イン」で見ていた顧客や市場のさらに先にある「社会にあるニーズ」、つまり社会課題を起点としてビジネスを創出するアプローチのことです。「アウトサイド・イン」は企業がSDGsに取り組む際の指針をまとめた『SDGコンパス』というガイドの中でも推奨されています。

社会はそれ自体が非常に多様で広範です。たとえば家族のような関係性も含まれますし、学校や企業といった組織、地域、国さらには世界まで広がっていきます。その社会にある多様な課題を集めたものがSDGsになります。

「アウトサイド・イン」でSDGsに取り組むことは、企業がこれまで直接的に意識を向けていなかった社会課題を起点としたビジネス創出にチャレンジする機会となる。それ自体が私たちの新たな創造性を引き出し、今までなかったような商品・サービス、イノベーションによる課題解決の可能性が生まれるわけです。

ただ、その可能性を形にするのには多くの場合、時間がかかります。私たちは「ビジネスの当たり前」として短期的な結果や明確なロジック・根拠・方法、もしくはメリットを求めがちです。しかしそれが難しいのは考えてみれば当たり前ですよね。

これまでも様々な人や団体が社会課題解決に向けて行動してきています。その結果、短期的に成果が出やすいものはある程度解決されているわけです。今ある課題は複雑度が高く、事業化の難易度も高いものがほとんどでしょう。だからこそ時間をかけて取り組むことが必要になってきます。

重要なのは、周囲から評価されないとしても、反発する人がいたとしても「それに取り組みたい!」という思いや願いが取り組む人たちの中にあるかどうか。「自社としてどうすべきか、何ができるか」よりもさらに内側にある、ひとりひとりの「こうしたい、こうありたい」を起点に形にしていくことなのだと思います。結果が出るかどうかも分からない未知の取り組みに対して、役割や周囲の期待への義務感だけで進めていくのは難しいですよね。

同時に企業としてのチャレンジとなるのが、これまでとは異なる動きを支援・促進できる組織のあり方をいかに生み出していくかというところです。ひとりひとりの思いや願いを起点とした行動に対して、いかに制度やシステムによる構造的な支援を作りだしていくかが問われます。

未来のありたい姿から生み出す「バックキャスティング」

SDGsを理解し、SDGsに取り組んでいく上で重要な視点・考え方に「フォアキャスティング」「バックキャスティング」があります。現状からどんな改善ができるかを考えて改善策を積み上げていくのがフォアキャスティング。最初に具体的な方法を考えるのではなく、未来のありたい姿、達成不可能と思えるような到達点を決めて、そこから逆算してどうしたらそこにたどり着けるのかを考えるのがバックキャスティングです。バックキャスティングはケネディ元米大統領が実現の道筋が見えていない状況で「月へ行く」と宣言して、その宣言を実現するために総力を挙げた結果、月面着陸を成し遂げたというところから別名ムーンショットとも言われます。

言い換えるとフォアキャスティングは現実的な策を講じる、現状の延長線上にある改善的なアプローチ、バックキャスティングは創造的破壊を生み出すアプローチです。

少し具体的なイメージで2つの違いを考えてみましょう。例えば「年収を1年後に5%増やす」という目標を設定したとします。その場合、どんな達成方法が思いつくでしょうか?

企業に勤めている方なら残業を増やせばなんとかなるかな? とか、昇給や賞与の交渉でいけるかな? といったことを考えるかもしれません。では、その目標が「年収を5年後に10倍にしなければならない」となったらどうでしょうか。人によっては「えっ? それは今の仕事を辞めないといけないんじゃ・・・!?」「新規事業を立ち上げて、新会社設立するとか?」といった発想になるかもしれません。

5%増のときは自然と今の仕事を維持する前提を持ち、その現状をベースとしながら「何を付け足せるか、どこか改善できる部分はないか」と見直していくことを考えたと思います。しかし、「5年後10倍」を達成するとなると、「そこにいくためには今の仕事や現状のやり方をやめないと無理なのでは?」といった風に5%のときは全く考慮していなかった選択肢が入ってきます。

本当にその既存の仕事ややり方をやめるかどうかは別の話で、でもそれすらも選択肢に加わってくる。その視野、思考の広がりとともに「達成できるかどうか」ではなく「どうすれば達成できるのか」を考え抜く。それがこれまでの常識ではあり得ないような突拍子もない、もしくは未知のアプローチを生み出していく可能性につながっていくわけです。

バックキャスティングの発想で生まれた「SDGs」

このように話しているとバックキャスティングが素晴らしく、フォアキャスティングは駄目だというように感じられるかもしれません。しかしフォアキャスティングとバックキャスティングは違いであって優劣がつけられる概念ではありません。ここでも二元論ではなく両輪であるという認識が重要です。

基本的に私たちは今までの経験、やり方をベースにするフォアキャスティングで未来を考えることに慣れています。でも、その慣れ親しんだフォアキャスティングだけでは大きな変化を生み出すことは難しいからこそバックキャスティングを意識的に取り入れることが重要なのです。一方で、バックキャスティングで今の常識からは達成不可能にも思えるありたい未来の姿から逆算して大胆なやり方を考えたとしても、それを実現していく道のりが直線的で平坦なはずはなく、紆余曲折の連続になるはずです。

現状から積み上げる「フォアキャスティング」と、ありたい姿から逆算する「バックキャスティング」

そのバックキャスティングで描いた未来に向かっていく道のりは小さなフォアキャスティングの積み重ねと言えますよね。あり得ないような未来に向かって、失敗したり間違ったりを繰り返しながら歩んでいく。そして行動したからこそ得られる様々な経験やフィードバックから学び、前に進み続ける。地道とも言える前進の先に、描いていた未来は実現するのだと思います。

「今、ありたい未来に向かっているか?」「歩みを止めていないか?」その問いを行き来しながら進んでいくということでもあると思います。

SDGsを理解する上でも、このフォアキャスティングとバックキャスティングが重要だとお伝えしましたが、その理由はSDGs自体がバックキャスティングの発想でつくられているということにあります。「具体的な達成方法は分からないけれど、2030年に私たちの世界はこうなっている必要がある」と193ヵ国が合意した非常にチャレンジングな目標がSDGsなわけです。

バックキャスティングで作られた、ということは今までやってきていること、やり方をただ積み上げていくだけでは達成できない目標であることを意味します。企業としても既存の事業や取り組みがもともとSDGsに貢献するようなものがありますよね。それらをマッピングすることでしっかり評価し、意味を再定義することは大切です。しかし、そこで止まらずにさらに歩みを進めることが求められています。

今まで私たちが「あり得ない」と思っていたこと、様々な「当たり前」を打破していく、SDGsはそんな壮大なプロトタイピングでありチャレンジであるということです。

SDGsを「問い」と捉え、可能性を解放する

重要なことは、個人・企業を問わず、難しく考えすぎて、立ち止まってしまわないことです。最初から100点満点の特別なことを目指すのではなく、すぐに取り組めるような身近なことから変化を生み出し、同時にありたい未来に向かって進み続ける推進力を生み出すことが重要です。

SDGsに取り組もうとしている企業の方から、「何をすればSDGsになるんですか?」、「私たちがやっていることはSDGsと言ってもいいんでしょうか?」といった質問をよく受けます。

その背景には不正解を嫌い、100点満点を求める風潮が強いことが影響しているかもしれません。SDGsは、非常にタフな交渉を重ねて世界中が合意した奇跡のようなアウトプットであり、素晴らしいマイルストーンです。それは同時に、いまこの瞬間も苦しんでいる人や存在があり、未来を脅かす様々な問題があることを示してもいます。その壮大さ深刻さ故に「正しくなければならない」、「SDGsのためにがんばらなければならない」、と気づかないうちにSDGsという「正解」に合わせにいったり、悲壮感や義務感が起点になったり、もしくは世間や誰かの評価、そういった不安や恐れに意識が囚われてしまう。その結果が先ほどのような質問なのだと思います。

もちろん正しくやろうとすることが問題なわけではありません。そして社会で起きていることをしっかり知ることは必須だと思います。でもそこにある問題の深刻さや複雑さを知ってなお、その問題の向こう側にあるありたい未来に向かって、自分の発想で自由に創りだしていくきっかけ、ツールとしてSDGsがあると捉えてみてはどうでしょうか?

SDGsは素晴らしいマイルストーンでありながら、同時に完璧なものではありません。私たちの可能性はもっと広く、深いかもしれない。一方で、幸いにもSDGsはとても大きな傘で、当てに行かなくてもどこかでつながっていくはずです。だから「答え」や「正解」としてSDGsを捉えるのではなく、「問い」または「可能性」としてSDGsを捉えてみる、その身軽さ、自由さから創りだしていく、そんな感覚です。

それはたとえば、こんな「問い」かもしれません。

「本当はこうだったらステキだな、面白いな、好きだなと思っていたことは?」
「このビジネスを通してどんなインパクトを"社会"に届けたいのだろう?」
「自分はなんのために日々こんなにがんばっているんだろう?」

SDGsという「問い」に応えていく。それは企業が、そして私たちひとりひとりがありたい社会、未来に向けて、自身のあり方やありたい姿を見つめていくこと、とも言えると思います。

不安や恐れを内包しつつ、願いや思い、面白さを起点に行動していく。ひとりや一社でできることは限られるかもしれません。でもひとりひとりを起点とした行動、変化が今までの常識や当たり前ではあり得ないと思っていたパートナーシップを創りだし、さらなる変化を生み出していく。その生み出していくプロセス自体が私たちの持つ創造性やトランスフォームの可能性を解放していくのだと思います。

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SDGsの基礎知識