コウノトリを活かす地域づくり・兵庫県豊岡市|SDGsと地域活性化【第3部 第3回】

2022年11月09日

SDGsを達成するには、全国展開する企業や、住民が多く存在する大都市圏だけでなく、すべての地域で積極的に取り組むことが必要です。特に地域におけるSDGsへの取り組みは、その地域の活性化につながるものであることが重要になるでしょう。
武蔵野大学工学部環境システム学科で環境政策を専門とする白井信雄教授が、SDGsを活かしてどのように地域の活性化を図っていくべきか、先進都市の事例から解説します。


今回は、「生物多様性と地域活性化の統合的発展」に早い時期から取り組んできた兵庫県豊岡市をとりあげます。同市は兵庫県の北部、日本海沿いに位置し、人口8万人弱の地域の中心都市です。コウノトリの野生復帰に成功を収めてきた町として知られていますが、コウノトリをゲージ内で増やし、放鳥をしただけではありません。野生復帰のための環境整備として、多様な生物(ドジョウ、ヤゴ、カエル等)を育む化学肥料や農薬を使わない農業(コウノトリ育む農法といいます)に取り組んできました。また、豊岡市内で増えたコウノトリが他地域にも飛来することから、他地域への活動の伝搬と連携の動きがみられます。

SDGsの理念や目標をメガネにして、豊岡市のこれまでとこれからの取り組みを考えてみましょう。

コウノトリとトラクター(豊岡市提供)

豊岡市におけるコウノトリを活かす地域づくりの歩み

コウノトリは明治末期から保護鳥となりました。1900年前後には豊岡市内にある鶴山が狩猟法で保護区に、コウノトリは保護鳥に指定されました。戦後にはコウノトリ保護協賛会が発足し、人工巣塔を建設して「そっとする運動」が行われました。さらに、自然卵を採取して人工ふ化を試みましたが。しかしこれらは上手くいかず、1986年に豊岡で捕獲した最後の鳥が死亡、国内のコウノトリは絶滅となりました。コウノトリの絶滅の原因は人による狩猟の影響もありましたが、農薬や化学肥料の大量使用、農地の大規模効率化のための圃場整備と乾田化によりコウノトリの餌となる生物が減少したことがあったとされます。

その後のコウノトリの野生復帰の取り組みの概略を表1に示します。飼育場での保護増殖は1965年から行われてきましたが、コウノトリの野生復帰のスタートは1980年代後半からです。2000年代に入り野生復帰のための環境整備として、「コウノトリ育む農法」の普及と国による自然再生事業が始まり、2005年以降に野生復帰(放鳥と自然繁殖)に成功しました。

コウノトリに関する活動は学校での次世代育成、環境と経済の好循環事業、他地域と連携する活動へと広がりを見せてきました。そして、豊岡市といえばコウノトリの野生復帰に成功した町として広く知られるようになりました。コウノトリが豊岡のアイデンティティとなり、地域づくりのシンボルとなり、住民の誇り(シビックプライド)になってきています。

表1 コウノトリ野生復帰に関する豊岡市の歩み

注:出来事の記号は次の分類に対応する。
●コウノトリの保護・共生、■環境保全型農業、◆生息地の保全、
○学校での次世代育成 □環境と経済の好循環事業 ◇他地域と連携する活動
出典)豊岡市資料より筆者作成

環境と経済の好循環ビジョンに示された物語

豊岡市の取り組みの成功要因の一つは、物語を上手に描き、考えかたの共有と共感による広がりをつくってきたことにあります。2005年に策定された「豊岡市環境経済戦略~環境と経済が共鳴するまちをめざして~」が物語を上手くまとめています。

コウノトリの野生復帰のために農法を変えようだけでは、地域ぐるみの活動になってこなかったことでしょう。この物語では、コウノトリの野生復帰は自然と折り合いをつけた、環境と経済活動が一体化していた、かつての豊かな暮らしを取り戻すことであり、コウノトリも住める環境は人間にとってこそすばらしい環境であると記しています。自分たち(そして子どもたち)のためになるという物語が、コウノトリの野生復興の正当性をみんなのものとし、農業者や地域住民の受容性を高めました。

「豊岡市環境経済戦略~環境と経済が共鳴するまちをめざして~」より抜粋

「豊岡市環境経済戦略~環境と経済が共鳴するまちをめざして~」より抜粋

(1)自然と折り合いをつけた暮らしがあった
 川は農地のかんがい、水上交通、魚や貝を採る場として重要であっただけでなく、洗濯や川遊びなどをする場として暮らしと密着してきました。(中略)
 むらでは米づくりなどが行われ、飼われていた牛の糞や下肥は肥料として利用されていました。円山川下流域などに広がる「じる田」と呼ばれる湿田は、ぬかるんで農作業が困難でしたが、人々は田舟や田下駄を手作りするなど、知恵と工夫によりその困難を乗り越えてきました。
 また、お米を作ることにより自然をより豊かにし、手仕事の技と共助・忍耐・自立の精神を育みました。コウノトリはそのような豊かなむらに、コウノトリを排除しない大らかな心を持った人々と共に住んでいました。(中略)

(2)環境と経済が分離した
 高度経済成長期に日本全体が経済的利益を優先して動き始めると、経済的な効率が著しく重視されるようになりました。効率よくお米を作るために即効性の化学肥料や毒性の強い農薬がまかれ、低コストで品物を作るために川や海には工場から廃水が垂れ流されたのです。
 また、輸送手段や科学技術の発達などによって自然を利用しなくても暮らせるようになり、自然は軽視されるようになりました。こうして、自然(環境)と経済活動(暮らし)が一体化していた「豊岡の暮らし」は影を潜めてしまいました。
 このような時代のなかで、姿を消してしまった代表的な生きものがコウノトリです。

(3)コウノトリが教えてくれた
 豊岡では自然軽視の社会においてもコウノトリの保護増殖事業が地道に続けられ、コウノトリが再びに空に帰りました。コウノトリは2つのことを私たちに教えてくれました。
 一つは粘り強く希望を持ってやり続ければいつかは目標を達成できること、もう一つは豊岡固有の資源を磨き、育てることによって豊岡が輝くことでした。
 また、コウノトリも住める環境は、人間にとってこそすばらしい環境であることを気付かせてくれました。

コウノトリの生息と「コウノトリ育む農法」の普及

コウノトリの野生復帰に向けた取り組みの成功を示すデータとして、コウノトリの野外個体数とコウノトリ育む農法水稲作付面積の推移があります。
野外個体数(2022年時点)は全国約300羽、そのうち豊岡市内に生息数は50~60羽となっています。市内の生息数は近年、横ばい傾向にあり、その代わり豊岡市内以外での生息数が増えています。市内での生息可能数(地域の環境容量)を超えているため、コウノトリが他地域に飛来し、生息場所が広がっているという状況です。

「コウノトリ育む農法」の市内の作付面積はどうでしょうか。この農法には、完全無農薬と一部除草のために農薬を使う減農薬の場合がありますが、その合計は2007年に100haを超え、2009年に200ha、2015年に300ha、2017年に400haを超えました。その後は横ばい、ないし微増という傾向です。この農法は順調に市内に定着し、継続・維持されてきています。

コウノトリ育む農法は、農薬を使わないために除草が大変な作業となり、また生物生息のために水を張るため効率的な作業がしにくくなります。このため、この農法で作られたお米は無農薬・無化学肥料の場合に慣行農法の1.8倍程度、減農薬・無化学肥料の場合に慣行農法の1.3倍程度の価格で販売されています。特別栽培の中でも高い価格に設定されていますが、それだけの手間がかかる作業によって、口にすることができるお米です。

コウノトリ育む農法は順調に拡大していますが、誰でもができる農法でもなく、生産者の高齢化と後継者不足もあってこれから飛躍的に拡大するということはないといいます。一方で需要はあり、市担当は学校給食で出しているコウノトリ育むお米をすべて無農薬にしたいと考えているものの、その供給確保が難しくなっています。
なお、コウノトリ育む農法では大豆も作られていますが、お米に比べて作付面積は少なく、減少傾向にあります。

コウノトリの人工巣塔とビオトープ

地域内の普及・波及・連鎖・転換のプロセス

筆者は、イノベーションの生成から社会転換に至るプロセスを、普及・波及・連鎖・転換の段階に分けて捉えています。コウノトリの野生復帰(特にコウノトリ育む農法)の段階毎に、その促進要因を表1に整理しました。

先に示したように、物語を上手に描き、取り組みの考えかたの共有と共感による広がりをつくってきたことが取り組みを地域ぐるみのものとしてきた大きな要因ですが、地域で作ってきた仕組みからは学ぶべき点が多くあります。その3点をご紹介しましょう。

第1に、イノベーションの生成・普及において、行政(市、県、国)、農家、JA、専門家、市民の連携と分担が地域ぐるみで進められました。イノベーションの生成は、コウノトリの飼育技術、コウノトリ育む農法の開発と確立が相当します。普及においてもコウノトリの放鳥と生息拡大、コウノトリ育む農法の普及が一体となされました。連携の場としては、「コウノトリ野生復帰推進連絡協議会」等が設置されました。県による農業技術支援、国による河川の自然再生など、市のみならず県、国の役割分担と連携も見事です。また、生産者(農家)だけでなく、販売者(JA)も主体的に参画したことが普及要因となっています。

第2に、イノベーションの普及のための専門的な組織の設置と人材配置がなされてきました。豊岡市における「コウノトリ共生推進課(現在、コウノトリ共生課)」、JAの「コウノトリ育むお米生産部会」等のように、各セクターに取り組みを専門的に担う組織が設置され、また「コウノトリ育む農法アドバイザー」のように普及を担う専門的人材が配置されました。

第3に、イノベーションの基盤強化として、コウノトリに関する学校教育・生涯学習、市民参加にも力が入れられてきました。「日本コウノトリの会」のように、市民主導の活動団体が設置されたことも、取り組みの裾野を広げることになりましたし、それを基盤として地域ぐるみの取り組みが強化されてきたといえます。日本コウノトリの会は、コウノトリの他の飛来地に人工巣塔を設置したり、目撃情報の共有等を行ない、地域間の伝搬にも役割を発揮しています。

表2 豊岡市の取り組みの生成、普及、波及、継続

出典)豊岡市コウノトリ共生課資料、同課及び日本コウノトリの会へのインタビュー結果等より作成

農家の受けとめかたと変化

農家が「コウノトリ育む農法」を採用した理由を少し掘り下げてみましょう。農家が同農法を採用した理由は次のうちのどれが主流でしょうか。

1.コウノトリの野生復帰に貢献したいから(コウノトリのため)
2.コウノトリ育む農法のお米は高く売れ、収益改善ややりがいがあるから(農業のため)
3.コウノトリ育む農法のお米は人間にとっても安全・安心であるから(人間の健康のため)

農家の後継者となり、「コウノトリ育む農法」を担う安達陽一氏にお話を聞くと、コウノトリ育む農法を行う理由は、「子どもたちの健康のためである。子どもたちに自信を持って食べてもらえるお米をつくることができ、そうして農業をしていることに誇りを持てるから」と答えてくれました。

とはいえ、農業をしていると「コウノトリが近く来たりして、コウノトリがかわいいという気持ちがわいてくる」という精神面の変化もあるといいます。

農家によって考えかたに違いがあり、一括りにはできませんが、「コウノトリの農法は買い取り価格も高く、補助金もある」という経済的理由が採用を促しているというよりも、採用を決定づける思いがあり、経済面の費用対効果の不十分さを解消する施策が阻害要因を解消していることが多いと考えられます。

「豊岡市環境経済戦略~環境と経済が共鳴するまちをめざして~」にいう「コウノトリが教えてくれたこと」は、「コウノトリも住める環境は、人間にとってこそすばらしい環境である」ということです。すばらしい環境を取り戻そうという思い、すなわち人間の健康や地域への誇り、生物とのふれあいのある環境にいることの歓びを取り戻し、大切にしたいという農家の人としての思いが、「コウノトリ育む農法」の普及・定着・継続を促してきたといえるでしょう。

このように考えると、豊岡市におけるコウノトリの取り組みは、「環境と経済の好循環」と呼ぶよりも、「環境再生と人間再生の好循環」と呼ぶのがふさわしいでしょう。

コウノトリ育む農法に取り組む安達陽一氏(自ら耕す農地を背景にして)

SDGsの観点からの取り組みの評価

最後に、豊岡の取り組みをSDGsメガネにより3つの点に整理してみます。

第1に、コウノトリの野生復帰とコウノトリ育む農法の普及は、生物多様性(「目標15 陸の豊かさを守ろう」)と地域経済(「目標8 働きがいも経済成長も」)の統合的解決を実現しているものです。地域経済面では、コウノトリ育む農法による農業振興だけでなく、お米や大豆の加工産業、コウノトリツーリズム、コウノトリから学んだ環境経済戦略等の効果があり、波及的なものであるといえます。特定の生物をアイコンとした地域経済の活性化の成功事例となっています。

第2に、コウノトリに関する取り組みでは、経済面だけでなく、シビックプライドの高まりや自然との共生による精神的な豊かさ(人間再生)の側面の意義が大きいといえます。つまり、「目標3 すべての人に健康と福祉を」「11 住み続けられるまちづくりを」についても、コウノトリが教えてくれたともいえる活動の成果が現れています。

第3に、豊岡では、行政(市、県、国)、農家、JA、専門家、市民の連携と分担によって地域づくりの取り組みを進めてきました。まさに、「目標17 パートナーシップで目標を達成しよう」が実現されたのです。このパートナーシップは、取り組みの手段に留まるものではありません。築いていきたパートナーシップは住民の誇るべき地域の豊かさであり、将来にわたって地域を支えていく財産(資本)になることでしょう。

次回は、「森林保全・活用による地域活性化」の事例をとりあげます。

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SDGsの基礎知識