2023年09月06日
本連載では、環境と福祉の相互の関連を整理するとともに、両者の根本にある問題を明らかにして、社会を変えるためにはどうしたらよいかを解説していきます。
さて、気候変動によって強大化している豪雨や猛暑のような気候災害は、貧困層や高齢者等にとってより深刻なものとなります。また、心身に障がいがある場合、健常な場合以上に気候災害から身を守ることが困難となります。
気候変動の影響は、個人の心身や社会的な特性によって深刻度が異なるものとなります。影響を受けない(受けにくい)立場にいる人が、気候変動の影響は大して深刻ではない、などと言うことは傲慢といえるでしょう。
今回は、環境問題のうち特に気候変動の問題を取り上げ、その影響が「脆弱者」に深刻な被害をもたらす理由を考えます。「弱者」といわずに「脆弱者」という表現を用いる理由は、「弱者」と「強者」の明確な区別があるわけでなく、誰もが外部からの影響を受ける可能性としての「脆弱性」を持つからです。脆弱性の程度が相対的に強い人を「脆弱者」と表すこととします。
筆者が岡山に移住した年、晴れの国とされ「災害がない良い所」という同地の定説を覆す出来事がありました。「平成30年7月豪雨」です。
長時間の降水量が多くの観測地点で観測史上1位を更新するなど想定外の気象により、広域的かつ同時多発的に河川氾濫やがけ崩れが発生しました。死者223名、行方不明者8名、家屋の全半壊等20,663棟、家屋浸水29,766棟と、極めて甚大な被害となりました。
その中で、小田川(倉敷市真備町)では51人という多くの方々が浸水により亡くなられました。被害の様子を下記に示します(文献1より)。
高齢であることや高齢者のみの暮らしかたが、洪水からの避難を困難とさせたことがわかります(小田川での被害の詳細は別途、国の調査や研究者の報告をご覧ください)。
「平成30年7月豪雨」について、気象庁は「地球温暖化(気候変動)に伴う水蒸気量の増加の寄与もあったと考えられます」としています。異常気象は複合要因で発生するものですが、人類の活動に起因する気候変動が豪雨の発生確率を高め、より強大なものにしていることを疑っている暇はないでしょう。そして、気候変動の影響は「脆弱者」にとって、生命を損なうほどに深刻なものであると知る必要があります。
文献1)石塚裕子・東俊裕(2021)「避難行動要支援者の実態と課題―2018年西日本豪雨 倉敷市真備町の事例から―」福祉のまちづくり研究
気候変動による猛暑の頻繁化、あるいは常態化も進んでいます。猛暑の影響もまた「脆弱者」にとって、より深刻なものとなります。
日本救急医学会が2018年に出した「熱中症予防に関する緊急提言」では、小児や高齢者、持病のある方は熱中症にかかり易い「熱中症弱者」であると指摘しています。小児や高齢者が熱中症になりやすい理由として、下記があげられています。
また、環境省「熱中症環境保健マニュアル 2022」では、消防庁報告データをもとに、全国の熱中症による救急搬送数は2010年以降、大きく増加していることを報告しています。同数に占める65歳以上の高齢者の比率は、2008 ~ 2009年は40%前後、2010 ~2017年は40 ~ 50%、2018 ~ 2021年は48 ~ 58%と、増加傾向にあります。
救急搬送数に占める高齢者の比率が高まっていることは、人口総数に占める高齢者比率の増加だけで説明することできません。気候上昇に対する高齢者の身体生理的な脆弱性、高齢世帯の経済的状況、高齢者を支える家族や近隣関係の希薄化などの社会的要因もあり、脆弱性に結びつく様々な要因が高齢者の熱中症患者を増やしていると考えられます。
気候変動による生産者への影響はどうでしょうか。一般的にいって、大規模経営を行う生産者は気候変動への適応を担当する人材や専門的情報も確保しやすい状況にあり、投資余力もあります。これに対して、人、情報、金を持たない小規模零細な事業者は気候変動によって深刻化する気候状況への対応が後手後手になることが多いのではないでしょうか。
この仮説を検証するため、筆者は干し柿が高温化によってカビが生えやすくなるという問題に着目し、長野県南信州の高森町の干し柿農家へのアンケート調査を実施し、経営規模別に分析したことがあります(文献2)。これによって次のことが明らかになりました。
この結果から、大規模な農家だから気候変動の影響に対して頑健ということではないことがわかりました。大規模経営ゆえの脆弱性もあるわけです。また、気候変動に対する情報やノウハウの共有が脆弱性を改善する可能性も示唆されました。
文献2)白井信雄・中村洋・田中充(2018)「気候変動の市田柿への影響と適応策: 長野県高森町の農家アンケートの分析」 地域活性研究
気候変動の影響は、貧困層という経済的な脆弱者にとって深刻な問題となります。たとえば、カリフォルニア大学持続可能な都市センターは、報告書の中で次のような分析結果を示しています(図1参照)。
つまり、貧困層は脆弱性が高いゆえに気候変動の影響を経済的に受けやすく、そのため適応策をとることができずに、脆弱性をさらに増していくという「脆弱性のスパイラル」が生じていきます。
図1 気候変動と貧困層の脆弱性
開発途上国においては「脆弱者」が多く、国全体として先進国以上に被害が深刻です。脆弱性ゆえに、開発途上国では、多くの「気候難民」が発生します。
世界銀行は「Groundswell - Preparing for Internal Climate Migration」という報告書の中で、「気候変動に効果的な手を打たなかった場合、2050年までに、アフリカのサハラ以南、南アジア、中南米の3地域を中心に、合計で約1億4,300万人が生活の拠点を離れて難民化する」と公表しました(2018年)。
また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、「2010年以降、気候変動関連の災害で住居を追われた人の数が2,150万人に上る」とし、「突発的な災害だけでなく、気候変動によって食糧難や水不足が発生、天然資源へのアクセスが難しくなるなど複合的な原因となっている」と指摘しました(2021年)。
気候難民の発生経路は図2に示すように様々ですが、天気予報やインフラ整備、技術基盤、教育と知識が不十分な状況が脆弱性を高め、想像以上に多くの難民を生んでいます。
図2 気候難民の発生経路
気候変動の影響は、高齢者や貧困層、開発途上国等の「脆弱者」にとって、より一層深刻であることを示してきました。防災や気候変動適応等の分野で使われているリスクの考えかたをもとに、脆弱者のリスクを図3に整理しました。
図3 気候変動の被害を規定するハザードと脆弱性
気候変動の被害という「リスク」は、「ハザード」という外の力と「脆弱性」という内の力によって規定されます。ハザードがいくら強大なものであっても、脆弱性が小さければ(内の力が強ければ)、被害は抑えられます。
さらに、被害の規定要因は「起因」「素因」「誘因」の3つに分けられます。これらの定義には諸説ありますが、起因は被害を起こす直接のきっかけ、素因は被害を発生させてしまう被害を受ける側面の状況や性質、誘因は被害を発生させてしまう不手際だとします。ハザードは起因であり、脆弱性には素因と誘因の2つの面があるわけです。
このように整理すると、高齢者や貧困層、開発途上国等といった脆弱者は、素因と誘因の2つの側面で脆弱性が高いということができます。たとえば、高齢者は身体生理的な素因により気候変動の影響を受けやすく、気候変動に対する学習機会が少なく備えをしていないという誘因の側面で気候変動の影響を抑えることができないわけです。
干し柿の例でいえば、大規模経営の農家で干し柿生産への依存度が高いことは素因として脆弱性が高いこと、生産経験の浅い農家でカビ禍の被害が大きいことは誘因に問題があると整理することができます。標高が低いということは気温が高いという起因に関連しますが、この起因よりも素因や誘因が被害の程度を強く規定しているわけです。
同様に、貧困層では、素因として家計が厳しい、誘因として保険に入れないというように、貧困という脆弱性は素因と誘因の両面に関連するわけです。
脆弱者が持つ脆弱性は、個性によるもの(個性的脆弱性)、社会の制度や文化によるもの(社会的脆弱性)、根本の構造によるもの(構造的脆弱性)の3つに分けることができます。
個性的脆弱性とは、個人が持つ身体や精神等の性質や特徴、すなわち個性が脆弱であること、社会的属性は個人と社会との関わりの中で形成されるものです。構造的脆弱性は、社会的脆弱性をもたらす根本にあることで、自然と人、人と人とのつながりが分断されているとこの脆弱性が高いことになります。
気候変動について、3つの側面の脆弱性と被害との関連を整理してみましょう。個性的脆弱性の側面では、物理的・生理的な身体特性によって気候変動の被害を受けやすいものとなります。真備町で亡くなられた方の多くが高齢者であったこと、熱中症での高齢者の搬送者数が多いことなどは、この個性的脆弱性が被害を深刻なものとして解釈できます。
社会的脆弱性の例としては、貧困があります、個性的脆弱者が社会的脆弱者である貧困層になる場合(たとえば、高齢者の貧困等)は、個性的脆弱性と社会的脆弱性の2つの側面で被害が増幅されます。ただし、社会の状況によっては(社会的包摂があり、福祉政策等が十分な場合に)個性的脆弱者が社会的脆弱者にならないこともあります。
また、構造的脆弱性である自然と人、人と人の関係の分断がなければ、社会的脆弱性の問題は発生しません。たとえば、共同体においては経済的収入が少なくてもお裾分け等の支えあいがあり、経済的収入の少なさが被害を増幅する脆弱性とはならないでしょう。
このように考えると、脆弱性の改善という観点での気候変動対策には3つのレベルがあります。1つは、個性的脆弱者の視点から気候変動対策を考えるミクロレベルの要支援者対策です。2つめは、個性的脆弱者がさらに社会的脆弱者にならないようにするメゾレベルの社会政策(すなわち福祉政策)、3つめは根本にある構造的脆弱性を再構築するように、マクロレベルの社会を変えていく政策(すなわち転換政策)です。
図4 脆弱性のピラミッド
本稿では、気候変動を例にして、脆弱者の視点からの環境問題を捉えることの重要性を示してきました、老化や事故等により、誰もが個性的脆弱者になり、構造に問題をもつ今日の社会経済システムにおいては、誰もが社会的脆弱者になる可能性があります。つまり、誰もが脆弱性が顕在化していないだけの潜在的脆弱者なのです。脆弱者の視点から問題を捉えることは、潜在的脆弱者である自分自身のために必要なことです。脆弱者は自分以外の誰かではなく、自分なのだという当事者意識を持たないといけないでしょう。
また、個性的脆弱者といっても障がいの程度は様々です。高齢者といっても元気な高齢者もいれば、基礎疾患を持つ高齢者もいます。脆弱者の視点は固定された一律のものではなく、一人ひとりの多様性に寄り添う視点でもあることを肝に銘じる必要があるでしょう。
長くなりましたので、脆弱者とそうでない人との格差の拡大の問題、脆弱者の視点から対策を考える際の倫理や正義の考えかたについては、別の機会に記すことにします。
次回は、消費者という社会的脆弱者をとりあげます。