2024年01月17日
前回は、地方から都市への人口移動による過疎と過密が、それぞれに地方と都市の環境・福祉の問題の根本的な原因になっていることを整理し、人口移動に対する対策の方向性を示しました。
今回は、「都市が中心となり、周縁の地方につけまわしを行う」という地域間の不平等が、地方の環境・福祉を損なっている問題をとりあげます。環境・福祉の問題の根本的な解決のためには、都市を中心としない国土構造、すなわち地方を中心とした水平ネットワークをつくっていく必要があることを整理します。
まず、地方の問題が見えやすい離島をとりあげます。
多くの島には美しい固有の自然が残され、自然と一体になった人間らしい暮らしが守られています。しかし、実際に島に行くと、過去の経済成長に翻弄され、痛々しく思える変遷を遂げてきた様子を目の当たりにすることがあります。面積や人口規模に限りある小さな島では、時々の開発が持ち込まれ、島ゆえに固有性の高い自然や伝統的な文化が壊され、開発による産業が行き詰まると放棄される、という歴史が繰り返されてきました。その例として、次のようなケースがあります。
経済成長のゆらぎによって島が翻弄されやすい理由は、島の社会経済が脆弱であるからです。
一般的に交通条件が悪く、人口や経済の規模が小さく、都市機能の集積に劣るために、時代変化に対応する力が脆弱です。また、開発の力が島外の資本や技術、人材によることから、外発的なイノベーションの持ち込みと撤退が容易に進んでしまいます。
瀬戸内海に「豊島」という産業廃棄物の問題に翻弄されてしまった島があります。
豊島もまた、「石の島」「ミルクの島」と呼ばれた過去があり、さらに2010年に豊島美術館が設置され、「アートの島」の1つとして注目されてきました。こうした歴史に加えて、豊島が「ごみの島」と呼ばれてしまう、深刻な事件(以下、豊島事件と表記)がありました。
豊島事件は日本の公害問題あるいは廃棄物問題を語るときに知らなくてはならない大きな出来事です。事件の概要は次の通りです。
1975年、豊島総合観光開発(株)は、土砂を大量に採取した島内の跡地に、有害産業廃棄物処分場を計画しました。しかし、住民の反対運動が起こり、同社は有機性の廃棄物によるミミズ養殖業として許可をとりましたが、実際には産業廃棄物の不法処理を始めました。1990年になり、兵庫県警の摘発により操業停止、経営者は逮捕、有罪判決を受けましたが、大量の有害物質を含んだ50万tを越える産業廃棄物が放置されました。撤去は2003年に開始され、約15年を要しました。
持ち込まれた産業廃棄物には自動車のシュレッダーダストが含まれていました。自動車ユーザーが気にせずに手放した車の一部が小さな島に持ち込まれ、美しい自然を壊し、大切な漁場を汚し、穏やかな暮らしを侵していました。
この事件もあって、自動車リサイクルの仕組みや産業廃棄物のマニュフェストによる管理が制度化されました。しかし、これだけでこの事件を過去の出来事にしてはいけません。
自らの知らないままに被害を受け、反対運動を起こさざるを得なかった住民の怒りや辛さ、苦しさを想像し、反対運動に対する世論の温度差や産業廃棄物に対する行政の責任逃れの姿勢があったことを受けとめ、戒めとして継承していく必要があります。
美しい豊島の風景
豊島事件に現れた問題は、時代変化に対する島の脆弱性の問題であるとともに、「都市が受益を得て、地方に受苦をつけまわす」という都市と地方の関係の問題であります。
こうした問題は離島に限ったものではなく、多くの地方で発生してきました。とりわけ、都市から遠隔にあり、人口規模が小さく、第一次産業が中心となっている地域は、高度経済成長期における人口流出と産業の衰退が顕著であるとともに、都市からのつけまわしを受けてきました。
地方から都市への人口移動が顕著となった1960年代以降、公害の地方移転が指摘されてきました。地方と都市の格差是正を狙いとして、地方に大規模拠点を整備した結果、工場の地方立地が進んだ一方で、工場生産に伴う大気・水質の汚染物質もまた地方に移転したという指摘です。
都市の工場から見れば、地方の安くて豊富な土地、水、人材は魅力的であり、地方立地に対する行政の経済的支援も誘因となりました。地方からみれば工業化に乗り遅れていることで人口流出が生じていた状況ゆえに、工場立地は歓迎すべきもの、すなわち都市と地方のWIN-WINのカタチであっともいえます。
しかし、産業公害の移転というデメリットへの配慮は不十分でした。四大公害病の1つとされる四日市のぜんそく、倉敷市水島での公害問題など、日本各地に建設された工業集積地で深刻な自然破壊と健康被害が発生しました。表1に、1060年代・1970年代の主な公害裁判を示します。多くの紛争が都市から地方への工場移転に起因しています。
表1 1960年代・1970年代前半の主な公害裁判
また、国策に先導された都市からの進出という外発的な発展もまた、地方の内発による地域資源を活かした個性ある魅力づくりを損なうこととなりました。工場を地方に立地された企業は都市における管理機能や新事業開発に注力し、地方の工場は都市の本社に相談しないと何もできないという場合が多くなり、結果として都市と地方の格差はますます拡大したとみることもできます。
もちろん、過去の時代において工場の地方移転は適切な政策であったかもしれません。地方におけるメリットもあったでしょう。それでも太宗としてみれば、工場の地方移転は「都市が受益を得て、地方に受苦をつけまわす」という問題構造を緩和するどころか、本質的には何も解消できておらず、むしろ逆効果になってきた面があります。
また、地方に分散立地し大量生産を行う工場は、大量に電気を消費します。地方への工場立地は雇用を創り、経済成長期の地域経済をけん引してくれましたが、ゼロカーボンを図る今の時代から未来に向けて考えると、大規模な工場が地方のゼロカーボンの実現を困難にさせていることもまた事実です。
「都市が受益を得て、地方に受苦をつけまわす」という問題は、過去だけの出来事ではありません。近年では、外部資本による地方での再生可能エネルギー(再エネ)の開発の問題がクローズアップされてきました。
藤井・山下両氏の報告(2021)※によれば、全国の市町村(回収数:1289⾃治体、回収率:74%)に対して、「あなたの⾃治体にある再⽣可能エネルギー施設について、地域住⺠等からの苦情やトラブルはありますか」と質問した結果、「過去に発生していたが現在は発生していない」14%、「現在、発生している」11%、「これまで発生していないが、今後の発生が懸念される」12%という結果になっています。
苦情やトラブルの内容は、景観、騒音、光害、土砂災害、敷地内の雑草の管理、廃止後の設備撤去、災害による設備損壊などが回答されています。
※参考文献:藤井康平・⼭下英俊(2021)「地域における再⽣可能エネルギー利⽤の実態と課題 ー第3回全国市区町村アンケートの結果からー」⼀橋経済学第12巻第1号
これらの問題は、都市に立地する地域外の大規模な事業者が多くの資金を調達し、広く安い土地を地方に求め、地域の自然や住民への配慮が欠けた発電設備を建設した結果です。
再エネ開発はゼロカーボンの実現に貢献するかもしれませんが、売電によって得られた利益は地域外の事業者や金融機関に届けられるだけで、地域の経済循環という効果を生み出しません。そのうえ地域住民は不利益を被るのですから、苦情やトラブルとなるのは当然のことです。
ただ再エネの発電設備は大規模に作ることもできる一方で、太陽光や風、水の流れといった地域にあるエネルギー資源を地域の住民主導により適正規模で活用することも可能です。
2010年代には、再エネ開発のトラブルの一方で、地域資源である再エネを地域主導で地域のために活用しよう、という市民活動や行政施策が全国各地で動きだしました。
地域主導の再エネ活用は、資金調達の制約から小規模であるかもしれませんが、エネルギーや気候変動といったグローバルな環境問題の解決への一助となるとともに、地域の経済面、社会面のSDGsの達成、そして地域内発力(住民の意識や関係の力)の向上に貢献するものとなります。(この詳細は、再生可能エネルギーによるローカルSDGsの実現|SDGsと地域活性化【第4回】にまとめています)。
以上を踏まえると、再エネの開発トラブルは再エネゆえの必然的なものとはいえません。再エネは活かし方次第の両刃の剣のようなものです。誰が何を目指して、どのように再エネを使うかによって、再エネの価値が異なるものとなるでしょう。
「都市が受益を得て、地方に受苦をつけまわす」という関係は、都市の環境問題の解消や住民の福祉向上になったかもしれません。しかしその分だけ(あるいはそれ以上に)、抵抗力の弱い地方において環境問題の発生と住民福祉の低下をもたらし、環境と福祉の両面で不平等を生みました。
この問題の原因は、地方に受苦をつけまわす政治家や事業者がいるというミクロレベル、あるいは法制度の不備というメゾレベルに求めることができますが、それとともに都市を中心とした社会構造の歪みというマクロレベルをも捉える必要があります。
その社会構造とは図1に示すように、都市機能や組織・人の力が都市に集積されて、社会の中心となり、地方を周縁に位置づけるものです。全体において中心が優先される結果、中心である都市の受益が優先され、都市の受苦が周縁である地方に押しつけられます。
都市が中心になってしまう理由は、地方分散をうたいながらも基本的には中央集権型である政治・行政の仕組み、さらには集積や規模によって経済効率性が得られる経済合理性の追求にあります。
図1 都市を中心、地方を周縁とする構造
前回は「地方から都市」への人口移動による過疎・過密問題をとりあげましたが、これに対して今回は「都市から地方」へのつけまわしの問題に焦点をあてました。
この2つの問題はどちらも環境と福祉を損なうという点が共通しますが、「地方から都市」への人口移動の問題は地方と都市の両方にダメージが生じるのに対して、「都市から地方へのつけまわし」の問題は地方にのみダメージが発生してしまう点が異なるでしょう。
重要なことは、2つの問題ともに根本的な社会構造に問題があることです。表2に問題となる状況と理想とする方向を整理しました。
表2 地方と都市の関係における問題と理想
注)●は人の流れ、■はお金の流れに関すること
根本的に問題となる構造は、「都市を中心、地方を周縁とする構造(垂直的な階層構造)」にあり、これが「都市と地方の間の収奪的(Win-Lose)な関係」をつくっています。
これに対する理想の方向は、「地域を単位とする自立を基本とした構造(水平的な連携構造)」をつくり、「都市と地方の間の互酬的(Win-Win)な関係」を築くことです。
環境省の「地域循環共生圏」という考え方は、ローカルSDGsを都市と農山村の連携によって実現しようとするものです。しかし、「都市を中心、地方を周縁とする構造を頭におき、その構造を変えていく」という視点をもたないで地域間連携を進めていくと、都市が地方を支配し、搾取する植民地を増やすような事態になる可能性もあり、注意が必要だと考えられます。
問題の根本を考えるとき、都市と地方の不平等の問題の解消は難しいかもしれません。しかしそれでも、地方分権の徹底等の既存システムの改善を進めるとともに、既存の仕組みとは異なる地方の動きに期待したいものです。
たとえば、再エネという地域資源を地域主導で活用しようという動きは、中央集権や経済効率追求によって築かれてきた社会とは別の姿を目指すもので、環境と福祉の問題の根本解決につながるものと考えられます。
都市と地方の新たな、よい関係をつくるため方策として、地方を起点にした3つ方向性を示すことができます。
1つめは、地方における広域での自立共生圏をつくることです。
つながる空間の単位は、地理的に連続し、自然の恵みを共有し、社会経済活動としてのまとまりがある都市と農山村を併せ持つ広域です。この地方の広域において、地域にある地上資源を活用した地域内循環を、地域の市民、行政、企業の協働で進め、地域外部への依存度を減らし、地域外部からのつけまわしを受けない、中央に依存しなくても自立していける基盤をつくります。
2つめに、地方と地方の間での水平ネットワークをつくることです。
全国の地方に形成された自立共生圏が中央を介しないで、地方間で水平方向につながることで、地方の自立性はますます強固なものとなります。この水平ネットワークは地理的に連続しなくとも、気候や自然、特産品、文化等が異なる遠く離れた地域との間でも形成されることで、地方の活性化の自由度が広がります。もちろん、世界各地の地方とつながることも自由です。
3つめに、地方において、つきあう都市の相手を選ぶことです。
オーバーツーリズムの問題があるなか、観光客や移住者をだれでも受け入れてしまうような地方の地域づくりは得策ではありません。地域の持つ自立共生の魅力を理解し、それを支援してくれるような相手を選んで、交流や関係づくりを行うことができれば、地方の良さが守られ、強化されていきます。地域外の資本による開発は基本的に受けれません。
このように、地方を起点に考えて、自立共生を理念としていけば、都市からのつけまわしを受けないですみます。
一方、地方につけまわすことで発展してきた都市の側はどうなるでしょうか。都市住民が地方に移住して、都市を縮小すればよいとはいいきれません。膨張してしまった都市を再構築し、支える別の仕組みや新たな技術開発を考えなければなりませんが、そのことは別の機会に譲ることとします。
次回は、グローバル化と環境・福祉の問題の関係をとりあげます。